サヨにかぶれないための現実論

natamaru1233001-03-17



どんなになりたい人が多かろうと、スマップは5人しかなれません、1チームで数人しか先発投手になれません。社会はそれしか用意できません。業界で許容されうる世間の注目度、野球チーム、会社の数というのは限界があります。

10000人を率いる管理職は業界人数が10000だったら一人しか用意できません。アイドル市場が100万人で、アイドルを育てるのに最低でもコンスタントに10万枚ヒットをとばさないと採算が合わないとなると、日本ではアイドルは10人しか存在を許されません。野球チームも同様です。



もっとも、世界中の業界の構造もこれと同じです。業界挑戦者の勝者はわずかで、敗者は大多数です。


女を食わしていきたい男は腐るほどいますが、男を食わしてあげようと試みる女はほとんどいないので、男は外の世界で勝負せざるをえなくなります。



業界挑戦者の大多数は男になります。


精子にあらわれるXX染色体とXY染色体の出現頻度は同じです。


ということは、同世代に100人の男がいたら、かならず100人の女がいます。男性成功者が10人だとしたら男性失敗者が90人、女性が100人です。


その女性がどういうコースをたどるのかは、社会構造によります。


1 一人が複数の異性と同時につきあうことを禁止した場合
=”敗残者を夫にもつ敗残者の妻”が、男性の敗残者と同じ数だけあらわれます。


2 一人が複数の異性と同時につきあうことを容認した場合(メカケ制度)
=(女)敗残者の男の妻が減り、勝者の男のメカケが増えます。(男)独身の敗残者がふえ、多数のメカケを養う勝者がふえます。

男めかけと成功者の女性の場合も逆にするだけで構造は同様ですが、女性の業界挑戦者(>業界勝利者>メカケを持つ業界勝利者)は男性のそれより数が少ないので、社会が男めかけを許容できる量は女性のそれよりもすくなくなります。たとえば男性挑戦者が100人、女性挑戦者が10人で業界成功率が一割だとすると女性成功者は一人しかいなくて、彼女が夫に満足せず男めかけを持つ可能性はさらにその数分の一となります。女性成功者が何人の男をめしかかえれば満足するかはわかりませんが、とにかく数が限られているということはいえてます。

10人のプロ野球投手と、10人のモデルねえちゃんがいて、空いた先発投手の枠が一つで、それ以外に貧乏な二軍に甘んじざるをえないとすると、


1のばあいは先発投手のペアが1人づつ、二軍貧乏のカップルが8人づつ、独身男女が1人づつ※。


2のばあいは先発投手が一人、彼が同時に4人つきあってるとすると彼女が4人となり、二軍貧乏のペアが5人、独身の二軍男性が3人、社会に挑戦している独身の女性が1人※となります。(※この定義は後述)


3人の女性が、貧乏彼氏から富裕者に彼氏がレベルアップいます。貧乏敗者のうち三人は彼女を失っています。


現実はこっちのほうが近いでしょう。これがいいのかわるいのかという問題ではなく、どっちがさきなのかという解釈が問題です。



差がつくからこうなる、だから差をなくせというのが社会党みたいな格差解消論。

社会で極端な差をつけてるから極端な成功者しか妻を養えない。勝者と敗者の差を縮めて、失敗者だって少しは女性を養える制度にしたら、女性だって彼らの妻におさまるようになり、身の回りに腐るほどいる失敗男を一顧だにせず、念入りに化粧して夜な夜な六本木ヒルズに勝負かける”なんてバカなまねは止めるだろう・・




逆に、ヒルズでの女性の醜態などは、生物の本能なので社会制度で防ごうとしても阻止できない。差はなくならないし、人々も格差を積極的に解消しようとはしてないから、できるだけ女性を貧乏な状態にさせるのはさけようというのがめかけ容認論=格差容認論です。


大多数の女がなるたけいい男とむすばれたいと願うのは本能、一妻制度の極貧男の妻におさまるよりも多妻制度で金持ちの愛人に納まることを望む。だから、社会が”六本木ヒルズでの醜態がおさまる程度に格差を少量におさめる”ことは不可能。失敗者に膨大な援助をする必要があり、モチベーションの減退をもたらし社会を停滞させてしまうか、現金の追加支出に国庫は破綻するのは必定。



業界勝負者がたくさんの美女(イケメン男)とうはうはしたいのは本能。っていうか、それがしたいがために成功しようとしている、あるいは現に成功していたりする(堤安二郎や華麗なる一族をみよ)。逆にそもそもそういう欲求がすくない連中が失敗ばかりしていたり上を望まず勝負をあきらめていたりしている。

なるたけ多数の女性にもてたい成功者、
なるたけ富裕な人に養われたい女性、
双方に利害の一致が見られます。

だったら、女性の扶助というセーフティーネット構築を、めかけを容認するということによって、彼ら勝者に丸投げしたほうが効率的ではないか?というわけです。なにしろ本能なのだから、頼まなくてもほっとけば自然にやってくれるし・・・

女に見向かれず独身に甘んじている男性には泣いてもらうしかない。彼らの妻になったとしても女性は苦労するし、そもそも苦労するとわかっているから女性がそこに行きたがらないのだから・・・・

がんばらなくても、敗者に甘んじてても妻を安易にもらえる制度にしてしまえば、彼らは上にいくモチベーションを失って、社会がたるんでしまう。彼らを女日照りにしてハングリーさをもたせたほうが競争が激しくなり、彼が算入した業界のレベルも上がり、世界も進歩しやすいだろう・・ということです