平等化するとどうなるか。オトコの妻子ゲットを平等化したケース ”誰もが平等に妻子を養う政策を実施すると誰もが妻子を養えなくなってしまうよね?”

natamaru1233002-03-25


いちおう、http://mellowmoon.blog93.fc2.com/blog-entry-24.htmlへの突っ込みという形になっていますが、ほとんど全体論になっています。






商品を売るときは、高い値段をつけてくれた人から順番に売りますよね?闇雲に与えてるわけではないですよね?


どうして?


製品を作ることにコストが必要だからですよね?だから、そのコストを回収できる分の金を自分にあたえてくれる者に対して優先的にその商品を引き渡しますというのはべつにおかしいことじゃないですよね?


子供をもつ権利もそうでしょ?どうして子供を持てる権利は富裕な者と貧民とで違ってくるの?子供を育てるのにコストがかかるからでしょ?コストがかかるってことは、社会で許容される数は有限ってことですよ。


だったら、そのコスト(養育費をはらえる余裕)を所有している者がもらえ、そのコストを持っていないものが所有できないのはあたりまえですよね?人間は経済活動(=ものを売り買いしてるとき)でも、そういうことを自然とやってますよね?


どうして?



一億円の家を買わないのなら、一億円用意しなくてもいいですよね?でも一億円の家を買うつもりなら一億円稼ぐ必要がありますよね。一億円の家を獲得したから恵まれてる、一億円の家を持ってないから恵まれてないんだ。。なんていえませんよね?家をもてなかった人だって、代金の一億円を払わない分(稼がなかった分)、働かなくてすんでいたり、それをほかの贅沢につかえてたでしょ?


子供を育てる費用も稼げず、稼ぐ努力もせず、コンビニのレジうち程度のスキルに停滞し、そのため嫁さんになりたいと女性が思いたがらないようなオトコになるのって、ものすごくラクでしょ?一億の家を買わずに済むことと同じですよね?


逆に、子供を多数育てれられる所得をゲットできて、その努力をして、ああ、この人の嫁になったらラクだわぁと女性が思いたがるオトコにになるってのは、レジうちオトコに比べてものすごく苦労がおおいですよね?これは、一億の家を買う人は買わない人に比べてより多くの苦労が必要なことと同じですよね?


この両者の差を、格差ダメだの差別だといって単純に平均化して是正してしまって、コンビニのレジうちでもそこそこの嫁さんと子供二人を持つ権利を得てしまえたら、橋下弁護士だって弁護士やめて(あるいは最初から弁護士を目指そうとせず)コンビニでレジうちに転職してしまいますよね?なんたってそのほうがラクですもんね・・


人間は同じメリットを受けとれるなら楽なほうを選択しますからね。どんなに努力好きなひとだって、その努力する意欲をくじかれちゃいますよね?


でも、橋元氏がレジうちになったらだれが法廷で弁護するの?だれが歯痛になったら治療してくれるの?誰が自分の父の死体や母のうんちを処理してくれるの・・



オトコの”妻子ゲット苦労”を地ならししてしまったら、複雑なスキルや根性を要するがゆえに高給である役職がぽっかり空白になって社会は回っていかなくなりますね。いままでは、自己実現だの楽しさだのは全く関係なく、妻子が養える、あるいは愛人も隠し子も複数もてる、銀座でねえちゃんたちにもてるという理由でその職を希望した男性がひきもきらなかったんですが・・・



オトコが全員レジうちになったら誰が妻子を養う税金を捻出するの?レジうちオトコなんて自分の妻子さえ生活保護として他人の稼ぎを流入させる必要があるんだから、他人の妻子なんて絶対に養えないよ!


養える奴って言ったら高給取りの男しかいないよ?だけどオトコたちが”もらうメリットが同じなのに余計に苦労するなんてばからしい””っておもってしまってその職についてないからそんなオトコはこの世に一人もいないよ。他人の妻子を養えるだけの余裕のあるオトコがこの世に一人もいなくなってしまったら、自分が妻子を養うさいに他人の援助が必要だったばあいに、誰が援助してくれるの?誰も助けてくらないよね?


誰もが平等に妻子を養う政策を実施すると誰もが妻子を養えなくなってしまうよね?


こんなからくり小学生だってわかるよね?


誰かのお別れ会のとき、みんなですこしづつ皮袋にブドウ酒をいれて餞別にしましょうって提唱して、次の日皮袋空けてみたら水だったって逸話があるけどそれと同じだよ。受け取るメリットは払うデメリットは社会時構成員のメンバー数に薄められる。だったら自分ひとり水いれても全体はかわりゃしないんじゃないかい・・って個人が思ってしまって、で、個人が思うってことは全員が思ってしまうってことだから、全員が自分と同じようにおもってしまうということ・・となると皮袋に誰もぶどう酒をいれないと同じように、誰もわざわざ(他人をも面倒見れるような)高給取りになって赤の他人の妻子の面倒を見ようとはしなくなる・・・



格差解消、人類平等、サヨさんは能書きはすばらしいのですが、これを実際にやってしまうと社会がなりたたないのですよ。サヨさんは思考実験の能力に乏しいところがありますな。


っていうか、乏しくなかったらサヨなんてはなからやってませんね。


とにかく、バカで甲斐性なしだろうと大富豪だろうと妻子をもてる能力を社会で平等に地ならししてしまえば、オトコは誰だって馬鹿らしくなって被扶養者を養う甲斐性を身に付けるモチベーションをなくすに決まってます。全員がモチベーションを無くせば税は一銭もとれませんから国家財政は破綻しますし、一銭も銀行に預金を蓄えないので余剰資本は底をつき経済活動はストップします。っていうか、社会に税のとれる余地がのこっていたとしても、徴税者でさえ怠けてしまって、その余地を回収さえできないでしょう。やっぱり皮袋に水のジレンマと同じです。


格差解消は、普通だった嫁もきそうもない男には天国です。オトコが全員楽しくてラクであるAV男優や旅人や劇団役者や気ままな詩人やバイクライダーや温泉レポート作家や時給600円のコンビニのレジうちになることでしょう。これで嫁さんと子供を養っていくラクさは地獄のような努力をしないと達成できない野球選手や経営成功者や医師や弁護士と同じなのですから、稼げないがラクな仕事の選択は、オトコの醍醐味である、妻子の所有と自分の欲望のどっちもかなえられるわけで、人生での最高の選択となります。何も苦労して高いスキルを身に付けようなんてキトクな奴はいなくなります。


自分ひとりだけ食っていけるだけの所得しか稼がず、社会をささえる要職に誰もつこうとしなくなり、社会に余裕が全くなくなり、社会全体が一人の非生産者もささえることができなくなりなり、女性が赤ちゃんを産んだとたんに母子もろとも餓死し、勤労者がけが人や病人になったとたん即死します。


これが天国ですか?この世の地獄ですよね?”みんなが皮袋に水しか入れない状態”というのはこんなに悲惨なのです。これが、社会主義やジョン=レノン的理想郷の真の姿です。


これっていうのは僕やエドモンド=バーグや古典派経済学者などの現実主義のきわみからは決しておこりえず、たいてい理想主義から発祥します。現実主義というのは。大衆ってのはとことんずるをするもんだ”というのはシステムに折込済みです。だから皮袋に水を入れる卑怯な行為もちゃーんと計算に入っています。建築工学の”遊び””伸びしろ”のように、バランス機構がつくられているので、たとえ為政者や大衆が少々の悪でバカであったとしてもおおきく崩れません。


聖人にしか運転できないクルマは性能いいですか?のってる人が聖人じゃなかったらどうします、周囲に聖人がいなかったらどうするんですか?聖人じゃなければ運転できませーーん。なんていいわけこいてて、トナリでバカでも運転できるブルドーザーがバリバリ働いてたら、そっちのほうが優れた車でしょ?政治だって同じですよ。聖人じゃなければ路肩に激突してしまう車なんて怖くて倉庫の肥やしですね。使い物になりません。


ちゃんとした人だったらよい政治ができるがちゃんとしてなかったらとことんまで悪くなるという人治主義、徳治主義は、ちゃんとしてなくてもちゃんとしててもそこそこやっていける政治機構(法治主義、民主制、資本制度)よりも、リスクヘッジの上で劣っています。なぜなら、ちゃんとした人よりちゃんとしてない人のほうが政権をとりやすいからです。だったら、どうせ天下とりたがるやつなんてロクなやつがいないのだから、そんな奴がてんかとたっとしても上手くまわっていくような世界をはじめっから構築したほうが利巧さね。・・とかんがることのほうが利巧な考え方です。


予防措置として、集中した権力の座をはじめかっらつくらないというのがあります。ろくでなしにうばわれたときの被害が甚大になるからリスクヘッジになります。


メロウムーン氏はこういいました。

>やっぱり我が子や恋人じゃないと助けたくおもえないよー、というのは人間の自然な感情」とか、「顔をみたこともない人にぽんと何百万もおのれの稼ぎを平気で分配するには、自然の感情にまかしただけでは絶対にできません」とか、そういう人の仁愛、ヒューマニズムを全く信じていない人間でしか言えない台詞を平然と吐くこそこそ、貴方の考え方がアカそのものである何よりの証ってもんなのですよ。


>人間を信用しない、人間の知性や愛情を信頼しない態度こそ、全ての独裁主義、全ての独裁者に共通する最大の資質なのです。人間を信じないから「やつらは我々が管理せねばならない」という発想になるのだし、相手を人間として尊重できないから「あいつらを粛清してやる」などと言えるのだし、相手に人間としての愛を抱けないから信じがたいような大量虐殺を行っても胸が痛まないわけです。


>私が理想とし、望むのはアカでもファシズムでもなく、人間が人間としてお互いを差別せず尊重し生きていけるような自由な社会です。出来る限り強制することなしに人間が自立しお互いを愛していけるような仁愛に溢れた社会です。そういう社会を良く思わない人間こそ、人間への愛に欠けた人間なのですよ。お分かりか?



はい、青臭くて反吐がでますね。


全部逆ですね。

あなたの理想とする、社会構成員のヒューマニズムに依存した一種の徳治主義は絶対に成功しないので人間にとってきわめて残酷な制度になります。血がつながってない人に率先して慈愛をほどこそうとする人(ヒューマニズムあふるる人)が為政者や社会構成員であったのならちゃんと社会は稼動しますが、逆に血がつながってない人に慈愛をほどこそうとしない人(ヒューマニズムに欠けた人)が為政者や社会構成員に存在していたら上手く回っていかなくなるからです。この世はうまくいかぬもので、残念ながらアカの他人の幸せを第一義に考えるお人よしは政権なんて取れませんので、たいていはそういったお人よしをおしのけたサバイバル西進にとんだじこちゅー人間になります。当然ヒューマニズムのかけらも持っていません。そういう連中が政治をするので絶対に崩壊します。


うまくいかせるには、そういった、社会に害をもたらす”ヒューマニズムに欠けた不埒な連中”を排除するしかありませんが、排除するには強制力という”もっとヒューマニズムに欠けた不埒な”手段をつかうしかありません。ヒューマニズムの欠如という社会の病巣を除去しようとすると、ますます社会はヒューマニズムが欠如し鬼畜化していきます。(言わなくても判ると思いますが、KGBを除去しようとおもえばやつら以上にもっともっともっとヒューマニズムに欠けた鬼畜野郎を使ってことにあたらなければなりません http://d.hatena.ne.jp/natamaru123/30050326/1174902848のネタを参考にしてください。)


逆に、現実主義者の理想とする社会は成功するかどうかは知りませんが、あまり極端な失敗はしませんので人間にとってきわめてやさしい制度です。たとえ為政者や社会メンバーが赤の他人に慈愛をほどこそうとせず血をわけた人間ばっかりかわいがるというヒューマニズムのかけらもない人であったとしても社会がそこそこ上手くまわっていくからです。当然、そういった自己ちゅー人間を不埒だからといって暴力使って除去する必要もありませんし、除去するために不埒なスパイ組織を結成する必要もありません。よって何かことをあたろうとするたびに社会がヒューマニズムを失っていくことはありません。


前にたとえた聖人にしか乗りこなせないクルマは役立つのか?存在する意味あるのか?というたとえと全く同じです。聖人カーが理想社会で簡便に運転できる実用車が現実的な社会です


クルマなんて極端な話、誰でも動かせなきゃ意味がありません。聖人カーが、キーを回していきなり暴走し路肩に激突させて10人の乳幼児をはね殺してしまい、”今日乗ってたのは聖人じゃなかったのでうまくいかなかったんだ!このクルマは聖人さえ乗せればちゃんと動くんだ。だからこのクルマがわるいわけじゃないんだ!”といいわけしたとしても誰もいうことなんてきいてくれません。


聖人が乗ればちゃんとうごくが、聖人じゃ無い人が動かせば乳幼児を撥ね殺す。”だから聖人さえ乗せりゃこのクルマは動くので役立つんだ!”とはいえず、実際問題としては、”だからこのクルマはポンコツだ!”としかいいようがありません。


聖人を、運動神経がいい人と替えてもおなじでしょう。プロボクサーが万全のコンディションで運転すりゃF1マシンは初乗りでもちゃんと動くでしょう。だからといってトラックがf1並みの運転難易度で並みの人間が運転したら安易に人を撥ね殺すのであれば役立たずです。


社会主義ユートピア主義を弁護する言い訳もまったくおなじなのです。


聖人の心、レーサーボクサーの運動神経に依存したクルマの安全性=ヒューマニズムに依存した政治・・・皆同じです。


ヒューマニズムなんてあやふやなものを政治の安全性の根拠にすることは、クルマの安全性をレーサーなみの反射神経に依存してるようなものなのです。普通の神経の人やコンディションが悪い時には運転を誤ってしまいます。そんなあやふやなものに依存せずに、多少のぼんくらでもトラックやゆんぼが運転できてしまえるのと同様に、システムの構造を簡単で堅牢な仕組みにするほうがよほど安全性の向上に貢献しますし、そっちのほうがよほど正しい方策です。政治システムも同じなのです。


また、一見して人道に反しているようにみえても、時代がたつにつれだんだんよくなってくる(=人の満足度が上昇し人道に反しなくなってくる)という現象がおこってくるのも現実的な対策の特徴です。



例題>


教育に金がかかる、あーあいい生活をするには伸び盛りの企業にもぐりこめたサラリーマンか金持ち実業家の親の下生まれるしかないのかー。倒産寸前企業に勤めてる子弟や乞食の子供はかわいそうだ!


<理想主義>
倒産企業や乞食を援助しよう。伸び盛り企業の社員や成功した実業家は分け前を彼らに与えよ!そして彼らが人並みの所帯をもてるように助けよう!


<現実主義>
なんで子供満ちにくい人に無理やり子供もたせようとすんの?乞食の子供が不幸せなら、乞食が子供を産まなけりゃいんじゃね?金持ちの子が幸せなら、子供の出産と養育と全部金持ちに任せちゃえば(=金持ちしか子供をもたなくなれば)、次世代はみんな幸せな子だらけになるんじゃね?


何でつぶれそうな会社を無理やり支えるの?伸びてる企業に勤めりゃラクで、倒産しそうな企業に勤めてる人がしんどいなら、のびざかりの起業はバンバンひとをやとって、倒産しそうな企業は人を雇わなければいいんじゃね?ていうか倒産しそうな企業から伸びてる企業に人が移ればいいんじゃね?


金持ちはバカスカ子を産めて、貧乏人は子供を産みたくなくなるようにしむける=金持ちの子になる=その金持ちの子世代でも貧乏人と金持ちに分化=金持ちのみが子を産む=生まれてくる子はみんな親が金持ちの子なので教育費もふんだんにもらってみんなしあわせ。この連鎖が子々孫々と続けばいいのでは・・


なにも人為的に制御せずとも現実は昔からそうなっている。現在の我々は皆金持ちや成功者の子孫である。二代続いた乞食の家系、三代続いた始業失敗者の家系なんて存在しない。そんな家系は嫁ももらいにくく子もできにくいから断絶するからだ。


PTAをみてみればわかるとおり、親の所得水準は世間の平均よりはるかに高い。まわりを見渡しても、結婚して子供のいる男は皆所得が高い成功者ばっかりで、もっと高い所得の奴は愛人まで面倒を見ている。並みの奴は嫁さんいるが子供なしで、ちゃらんぽらんな遊び人だと嫁も子供もいない。


道端にあんなにたくさんいるのに、PTAには乞食がどうしていないのだろう?昔は不思議だった。乞食は子などうんでおらぬ。借金まみれの佐川ドライバーにも子がいない。”助けが必要な者の子”は助ける必要があろうが、助けが必要な者というのはそもそも子供がいないので存在していないし無理やり子を持たす道理もない。存在しない者を援助する必要などない。


まわりを見渡せば、不景気の時でさえ、自分の会社は伸びているといっていた人は結構多かった。逆に自分の会社が倒産寸前だといっていた人は余りいなかった。あたりまえといえばあたりまえで、倒産寸算の企業なんてめったに人をやとわない。逆に伸び盛りの企業はバンバン人を雇っている。活況なら人があつまり活況でないなら人は逃げていく・・だからひとが会社に勤めていたらそこは活況ある業界であることが多い。



話をもどします。

オトコは、そもそもかわいい嫁さん貰ったり多数の女にうはうはされたり、赤ちゃんを養いたいという目的のために生きているのですから、その目的を達成するために必要なコストを自分で調達するのはあたりまえです。行政にしのごのしてもらう理由はありません。


育児の環境を用意できたオトコが嫁ももらいやすく子供を産みやすくなっていて、妻や子供ができたら飢え死させちゃいそうなオトコは、嫁や子供が得にくくなっている社会のどこが非合理なんですか?っていうか鳥や哺乳類のオスは巣をつくったりして散々やってますよね?


一億円の家を買いやすい人って一億円持ってる人ですよね?その次が、一億円持ってないけど一億円を借りられる見込みがある人ですよね?一億円を持っていないし借りられる当ても無い人は、一億円の家を買うことからもっとも遠ざかってますよね?これって、別に不平等でもなけりゃおかしいことでもないですよね?


とにかく人間は平等だからといって一億円の家を闇雲に配布するわけにはいきませんよね?子供や妻のゲットだって同じでしょ?


どうして制約をもうけないのですか?育児には一億円の家を建てるのと同様にコストが要求されるし、土地や税源は有限なのだから日本で扶養できる子供や育児ママの許容数量は限界があるのですよ?だったら橋元弁護士が道端の乞食夫婦よりももてて妻を得やすくて子供の数を増やすのが容易だから彼に子作りの権利を優先して与えるのは当然でしょ?逆に稼ぎも無く狭い家のフリーターや無職が子供が生みにくいのは当然でしょ?フリーターがこのままじゃ夫にも父親にもなれない、子供一人さえうめない、膣内に出そうとすると彼女が不安な顔をする。射精は膣の外ばっかりだ。行政よ何とかしろ!っていったって知ったことか!としかいえないでしょ?


ペットがいて、そのペットを引き取りたいといってくる家庭が複数あったら、もっともペットが育てやすい環境を持ってる人に預けますよね?ほかに格好の家があるのに、わざわざペットが死にそうな悪い環境にある家に引き取らせることはないですよね?子供の持ちやすさだってそれと同じですよね?


乞食が、今子供が生まれたら苦しいなあー、っとおもったら、おれがサラリーマンみたいに子供がもてないのは差別だ!とわめくのではなく、妻がある日”あなた、できちゃったみたい”といわれても、全然焦らないくらいに貯蓄や所得のあるオトコになればいいってだけの話でしょ?


他人がその高給職をすでにゲットしてる、自分がその職につくにはそいつを蹴落とす必要がある、つまり自分が鬼になる必要がある。それはいやだ!。というなら、全く新しい市場を開発して新規雇用を作り出せばいいってはなしでしょ?


乞食やフリーターが妻子や職のゲットするために必要なのは、せいぜいビジネス書と営業にまわる靴と靴下くらいなもので、社民党みたいなサヨク組織の援助なんて全く必要ないですよね?福島みずほがビジネスアイデアいっしょになって考えてくれます?融資の話をつけてくれます。ノウハウやスキル構築を手伝ってくれます?


いっておきますが、手作り和紙販売だのブンガク朗読会だロックコンサートのチケットだなんてくえないもんは必要ないですから!


じゃあどうして代々木公園でロックや詩の朗読なんてやってるの?そんなことするよりどうして医学者になって乞食の健康を救わないの?どうして技術者になって低コストの暖房施設を開発しないの?どうして現在の大量需要にこたえる、ラクに動かせる工作機械を発明してスキルいらずの大量雇用をうみださないの?


詩吟やロックが簡単だからでしょ?自分がそれしかできないんでしょ?エネルギー工学や治療は難しいからでしょ?自分がやってもできないからでしょ?でも難しい技術じゃないと人なんて救えないし、かといって小学生が三日で習得できる技術なんて人の役に立たないですよね?


もし役に立ってたら失業者だってとっくにそれを生業としてるから失業してないはずだし、あるいは途上国の人みたいな救済をうけるひとだってとっくにそれやってるはずだからはなっから救済すべき立場になんか転落してないはずですよね?


和紙作りやロックや詩の朗読なんてバカでもできるから自分でもできる。実は全然貧民や失業者からのぞまれてないし役にも立ってない。困ってる人にとっては医療や暖房の低コスト化がより切実だ。だけど、根性ないから建築なんて全然できない。好きなだけ寝てたいから医学部入っても単位とりそこねそうだ。


自分はむずかしいこと習得する根性も無いし頭脳的にも御手上げなので、自分でもラクにできることが世の中に必要とされているんだって思いたがりたい。認めなければ、自分が困ってる人の役たっていないとうことをみとめてしまう、


だから、ロックや詩の朗読は貧しいものの心をいやしたり社会にたいする啓蒙になったりして、社会を良くする威力は医療や先端技術より上なのだ!っておもいこみたいんでしょ?


でも、これって河原乞食の論理でしょ?それしか能が無かった芸能にすすんだわけであって、医学者みたいに社会の要請があるわけじゃないでしょ?貧困者を手術できるスキルを持った人が”手術するより歌をうたったほうが貧困者は助かるんだ!”とおもって、あえて芸能乞食しないでしょ?たとえそういう奴がいたとしても、それって、挫折して落ちてきた奴でしょ?医学生が”私は貧困者を救ってやりたい!”と真摯におもってる人ならば、ちゃんと単位をおとさずがんばって医者になるはずだから挫折して河原で乞食やってないよね?だったら河原で芸能してることは貧困救済に真摯になってるということを意味してないよね?


人間ってのは所帯もったり己の必要物資を自弁したり企業活動したりという生産活動をしだすとこういうからくりが自然とわかったちゃんだよね。岡林信康やボブ=ディランだっていつまでも青臭い歌歌ってなかったよね?



貧困者だって、お前の歌なんてききたくねえよ、それよっか俺の虫歯をなおしてくれよ・・っておもってるだろうね。


ディランや岡林だって、大人になって”自分じゃ医学の修得をおっくうがってるくせに、その俺が社会になんだかんだとケチつける資格ないんじゃないのか?”と急に恥じらいだしたから青臭い歌わなくなったんだよね?

話を戻す 2

 


でもサヨクは弱者連中に自助努力をそそのかすと頼らなくなってしまうから、自分がくいっぱぐれちゃう。橋元弁護士はばんばん子供うめるのに、あなたが中絶や膣外射精をせざるをえないのは、あなたが悪いのではなく格差社会のゆがみのせいだ!子供の平均人数は2人なのだから、本来ならオトコは2人子供を持つ権利を無条件で与えられなければならないはずだ!だから今度の選挙で私たちに票いれてね?なんてインチキをふきこむわけでしょ_?


妻子を養える余裕はどこかで調達しなければなりません。オトコが自弁するならそれでよしとして、社会が用意するから自分は用意しなくていい、弁護士や教授が稼いでくれるので、俺は乞食やレジうちしてようっと!というわけではありません。(っていうかオトコたちがそういう風に考えてなまけてしまうから再配分はダメだといっているのです)その”自分の妻一人子二人を養う”余裕だって他の誰か用意しなければならないのだから同じことです。だから乞食したり主夫したりしよう・・というわけではありません。


もし社会が妻レベルと育てられる子供の数を強制的に平等にしてくれるなら、ぼくは気楽に低スキルの職をえらんで生きてていきます。だれが余計な苦労を背負い込んで責任ある立場につくもんですか。それで妻の容姿や扶養できる子供の数が死ぬほど勉強した橋元弁護士と同等であるならばなおさらです。


他の大多数のオトコのそう思うでしょうから、世界のほとんどが乞食オトコになり、社会の文明水準は最低でも10世紀は逆戻りするでしょう


あなたはおっしゃるかもしれません”それって、もんもさんがそう思ってるだけでしょう?”


”おれは乞食の妻子をやしなうのが好きなんだ!
あえて地獄の苦しみを負って弁護士なるぞ!
だから誰かが弁護士になってくれます。


シロアリ駆除のために暑いところに入るのが好きなオトコもいるだろう、
だから誰かが住宅の崩壊を防いでくれます。

電気を触って手足をちょん切られてしまうという
危険性を快感に思うマゾ人間もいるだろう
だから誰かが電気を扱ぅ職業に就いてくれます


死体やうんちを扱うことが大好なオトコもいるだろう
だからあなたの両親が死体やオムツ状態になっても
誰かがやってくれます


だから社会ははうまくまわっていくだろう・・・


じゃあ、あなたが得意なアンケートでもとってください。


おそらくほとんどの人がぼくと同じような意見を言うでしょう。