僕のたとえ話・・山奥のシャングリラ


もし、才能に遺伝がまったく関係ないというのなら、カンボジアの山奥に人材派遣会社を設立して、エリート技術者を養成して濡れ手で泡のぼろもうけをたくらんでみたらいかがでしょうか?(フィリピンのスモーキーマウンテンもなんてのもいいかもね)。だって、あそこは人件費がただみたいなもんですから。親に年1万あたえりゃ泣いて感謝されるレベルですよ。原価は異常に安い。教材と三食を与えることと引き換えに時給500円の人材が養成できたら、あるいは、クラス100人の内の一人だけでも、医者や弁護士にすることが出来たら、どれくらい利ざやがかせげることでしょう。


医者は大変?コストがかかる?だって、才能に遺伝は関係ないんでしょ?日本人と同じコスト(プラス日本語学習費)をかければ、日本人と同一頻度で医学エリートが出現するはずなんでしょ?で、毎日水道水が飲めたり、尻についたウンコをふけたり、親に年一万仕送りが出来りゃ狂喜するレベルなんですから、三色の飯と屁みたいな額の小遣いを渡すかわりに医学の勉強させてやるともちかければ絶対に飛びつくはずです。”ぼくちん専用の車かってくれないとお勉強しないお!”なんてぶーたれている日本の医学生よりも、はるかに真摯に勉強してくれることはまちがいないですね。


初等教育費や食費、親への仕送りが現地価格で、医学教育のコストと医学生の出現頻度は日本と同じ、このデータで電卓をはじいたら、絶対にもうかる見積もりがでます。で、そう思ってる人はわれわれだけではありませんから、今ごろは、世界中の大学や人材業者がカンボジアの山奥に殺到して、秘密裏に巨大都市の建設が行われているかもしれません。同じように、人件費の安いところ、たとえばフィリピン=スモーキーマウンテン医学センター、シベリア大学、ルワンダシンクタンクトルキスタンロックフェラーセンターなんて機関が、ガンダムジャブローのごとく続々と造られているはずですよね。


でも、現実にはそんなもんはどこにもありやしませんよね?


これって、世界が、カンボジアの人材の資質が悪いと評価しているってことにほかならないですよね?だって、少し前は同じような生活水準だったインドや中国には、今ではバカスカ人材教育の投資が世界中からされてますよ。ポルポトの粛清で利巧は親世代が根こそぎ淘汰され、利巧な子が生まれにくくなっていて、カンボジア人が平均的にバカになってると認識されているってことでしょ?そして、世界中の投資機関や学術機関、シンクタンクが、教育投資の質をどんなに高くしても限界がある、やっぱり親の資質が良くなきゃダメだって認めちゃってるってことでしょ?。連中だって、精子銀行やディープインパクトのシンジケートと同じアナのムジナでしょ。だって、そうでなきゃ、とっくカンボジアに、インドや中国や種牡馬みたいな”シンジケート”が編成されてるはずだもの。


才能に遺伝が関係ないなら、今起こってる現象が全部説明できない。今のカンボジアがあんなに過小評価されてるわけがないし、精子銀行で精子同士の価格にあんなに差がつくはずが無い。ぜーんぶ、事実と違っちゃってるんだよ。どうやって説明するの?


過去の粛清が今のカンボジアの人材評価にまったく影響がないとすれば、かの国の潜在能力は他の途上国と同じ程度に評価されるはずで、今のカンボジアの人件費に対し、相当割安感がでるはずです。適度な教育投資を投じれば、たちまち有為な人材が雨後のタケノコのようにあらわれれ、インドのような魅力的な投資先になるはずです。っていうか、今ごろ、とっくにそうなって人件費が暴騰、あるいは高止まりしてなければならない。だが、そんな現象は、一切おこっていない・・・


逆にいえば、魅力がなく無能だからこそいまだに人件費があがらないってわけです。シンガポールは使えてたら巨大都市になり、カンボジアの寒村はつかえなかったからシンガポールのようになっていないのです。


くりかえします。そうならないのは彼らがバカだからです。バカでないなら悲劇の民にはなってません。個人レベルでも、利巧ならとっくにバンコクシンガポールに移民を許可され不動産でも成功させて、子供を大学に入れていなきゃおかしいはずです。ってかポルポト以前の、2代前の先祖の時点でそれに成功してなきゃだめ。それができないからカンボジア山奥なんぞにとどまっているのです。


移民局に許可がおりない?じゃあ認められるような資格や高スキルの職業につけばいい。それでもおりない?賄賂をわたせ!はらう金が無い?じゃあ稼げ!仕事をさせてくれない?じゃあおまえ無能!田舎かえれ!もう一回トライ!移民できました!仕事失った!家賃滞納!追い出された!もう住めないよ!田舎かえれ!・・こうやって人材は、原油がナフサやガソリンや軽油にわけられるように”蒸留”されていくわけです。



カンボジア人は利巧だけどポルポトがわるかったんだ!
=いえいえ利巧ならポルポトみたいなバカをボスにしません!
バカしか残らなかったけど利巧がうまれるよ!
藤圭子松本幸四郎をころしたら松たか子やウタダヒカルは絶対に生まれません!


もし、日本人でしたら、あんなやつは学生運動のリーダーにすら担ぎ上げられないでしょう。集会でアホな主張をした時点で仲間は互いに顔をみあわせ、示しあわせて粛清することでしょう。それさえしなかったのだから、とりまき連中さえもバカだったということです。そんな奴らが政権をとる前に、網かぶせて一網打尽にして火にくべなかった当時のカンボジアの人たちもシアヌーク殿も、底知れないバカでした。どうしてそうしなかったのかといえば、ポルポトの説諭をきいて、「浄水器マルチの集会みたく”おお、なんかすごく豊かになれそうだわーーーん”なんて思っちまった奴が相当いたってことでしょう。これって、利巧な人たちですか?


そして、そんな連中のなかで頭のいい連中、商売やってたり教師だったりメガネかけてたりした連中を根こそぎ粛清して残った人材は、果たして利巧でしょうか?

2007/02/25(日) 00:14:40 | URL | もんも #mQop/nM. [ 編集]