左翼の詭弁6
知識が増えたことによる”意識のノーマル化”現象が、
自説に都合が悪かった場合、”体制にヒヨったからだ!”
という理由をつけて絶対に認めようとしない。
たとえてみれば・・
<僕は物理は詳しくないので、あくまで仮の設定です>。この世にモッ化ウランなるものがあるとします。人体にいろいろ害をもたらすといわれていて、世間でなかりの批判を受けています。
で、ある若者が、このシロモノが本当に害があるのかどうかどうしても知りたいと思って、必死に勉強して大学の物理学部に入ったとします。
で、いろいろ知識を身につけて、”モッ化ウランは何の害もない”という結論をえたとします。
さらに、世間の専門家のほとんどが、彼と同じような結論に達してたとします。
だとしたら、”専門の人がいってるのだから、モッ化ウランは害が無いという意見は正しいのだろう、逆に、世間にはびこっている認識は間違っているのだな””誤った考えの人も、ちゃんとした知識を身に付けたら、誤った考えから脱することができるのだな”というふうにかんがえるのが、きわめて自然ですよね?
ですが、世の中にはひねくれた人がいて、”本当はモッ化ウランは害があるのだ。だが、あの物質は、いまや産業に不可欠な存在になっている。なんだかんだいって企業や大学の研究職ってのは閉鎖的で保守的な業界だ。そういう場所でいまさらあの物質は害だ!という論は持ちづらい。彼は自分の身の立場をかんがえて正論を発言しづらくなっているのだ。いわば、彼は体制にヒヨったのだ・・”と主張をする人がときたまいます。
この考え方がまさにサヨクっていうかなんというか、同根の考え方だとおもうのですよ。
たとえば経済分野では、”物理学部卒⇒研究職”に値する経済の専門家は腐るほど世にいます。流通、マーケティング、保険のリスクヘッジ、起業、品質管理、投資、金融工学、人材管理・・みんな、経済を知りつくしたプロ中のプロです、物理学部を卒業した学生が物理のプロであることと同様です。あるいはそれ以上の切れ者です(そうじゃないと生き残れません)。
そして、彼らは資本主義制度そのものに何の懐疑もさしはさんではいない。定年退職後も、あるいは死ぬ間際でも、一度としてそんな遺言をはいた奴はいない。資本主義は、前の世紀からずっと続いているにもかかわらずですよ?
ってことは、人間にとってきわめて自然で理にかなった制度っていうふうに考えるのが自然ですよね?我々が研究職の人たちのいうことを信用するように、彼らのことを信用して何がおかしというのでしょう?システムというのは失敗をなるべくしないようにするのが有利ですから、失敗の確率の高い、違うことをわざわざ実験したって何の得にもなりやしません。どうしてうまくいってるものをうち捨てて、無理やり変えることが得策だと考えるのですか?
米の相場なんて江戸時代からありました。しかも破綻するどころか結構うまくいってました。為替なんて室町時代の用語です。ユダヤ人なんて千年以上前から今とかわらないような制度をつくって運用していました。違った制度を使っていた人がいたとしても、そういった国や民族は打ち負かされて今にのこっていないのでしょう。
だからといって、生き残っているからといって正しいとはいっていません。我々だって、ライバル企業を不当廉売で根絶やしにしたり、鯨やインディアンを全滅させたり、川を汚染したりしてのし上がってきた連中の末裔です。先祖がそうやって生きのこれたんだから俺たちも同じことをしよう、それが正しいのだ!というのは間違っています。
とにかく、そこまで極端でなくとも、経験則や常識から導いて、モッ化ウランや資本制度に害はないので、なにも他のもので代用する必要もないだろう・・ってのはいえてますよね。