補足的なつっこみです。

>「社会状況として(中国に対する)差別意識があり、それが彼らを残虐行為に駆り立てた」という言い方はするが、それを「個々人の責任」に帰すことはしない。だって、戦争犯罪は「個人の責任」で片付くようなことではなく、作戦を指揮した軍司令部やそれを許した当時の社会状況のほうに(戦争犯罪の)責任があるのは明確だから。=http://mellowmoon.blog93.fc2.com/blog-entry-24.html#trackback24

突っ込みをします

ああそうですか。差別意識を上から持たされたと言い訳すれば差別した人に責任は無いのですか。

じゃあ、差別意識のうえで庶民Aが悪さをしでかしたとしたら、裁判所は”Aは個人の意識ではなく、教育や軍部やマスコミなどの、当時の社会的風潮によってAは上から強制的に差別意識を持たされた”といって無罪放免にしてもいいってわけですか・・へんなの。


常識的に考えて、Aが差別意識によって悪さをしたとしたら、それはどう考えてもA氏”個人の責任”なんじゃないの?


サヨはどうしてやたらと大衆を免罪するの?大衆が差別意識もってるならば、それが上から持たされようと自分で勝手に持とうと、とがめられるべきはどう考えても大衆自身でしょ?


”上”がそんな誤った意識をもっていても、自分が正しい認識をもっていれば突っぱねることは十分可能じゃないの?


ハンセン氏病だって率先して差別意識持ってたのは医学知識に乏しかった大衆のほうで、予算も出さなきゃならないし専門知識も集積している”上”は、”下”の要望を汲み取って渋々追随してたってのが真相だよ(なんたって専用施設は予算むちゃくちゃ使うから、・研究者の雇用維持って理由もあるかもしらんが、かえって法律でがんじがらめにしないほうが都合がいい。そうしなかったのは病人をちゃんと隔離して欲しいと大衆のほうが望んでたから)


こんな例はいくらでもある。ユダヤ人は世界的にネットワークはって金のやり取りしてるから地元産業に金を落とさず自活できてしまう。どうして違うところに住んでるのにツーカ-ーなのかというと、みんなおんなじような小学校かよって聖書解釈で同じような鋳型はめ込み型の教育受けてるから、聖書ネタなどで挨拶しやすいしお互いになに考えてるかわかる。だから互いに資金融通したりして商売がしやすい。地元は大打撃だ。だからユダヤ人は地場産業の拡大にあまり貢献せず地元からから余り歓迎されない。ユダヤは地元の地盤が弱いため大量の土地や水や設備が必要な重厚長大地場産業に弱い。元でのいらぬ身軽なニッチ産業で成功者がおおい。



どんなに違うところに住んでいてもアイディンティティーを同一にする手法はユダヤ人が作った。世界で最初の人工的な民族ともいえる。今までは住むところが同じならばおなじになるが違うところに住んでしまえば違うアイデンティティーになっていた。これをパクったのがムハンマドで、ユダヤのアンチテーゼがキリスト教である。(だからユダヤ人が嫌われるのも本人たちにある程度の責任がある・・という話をしようとしたのだが、本旨とずれてしまったのでここまでにする)



とにかく、”上から強制的にもたされたから俺は悪くないんだ!”っていう卑怯な奴らの責任逃れの言い訳をなんでもはいはいきくんじゃないよ!