平等化するとどうなるかその2 教育投資の場合 誰もが子供を教育できるシステムになったら誰も子供を教育できなくなっちゃうよね


子供を幸せにしたい親はその望みが優先的にかなえられ、こどもを幸せにしたくない親は子供が幸せにならないというのはあるいみあたりまえです。


自分に子ができたら、やっぱりしあわせになってほしですよね?


でも、人の子はしあわせじゃないから、お前の子供の幸せの分をよこせといわれたら納得しますか?


親ががんばるそもそもの目的は自分の子を幸せにするためですよね?顔を見たことも無い子のためじゃありませんよね?


顔も見たことの無い子を幸せにするために、自分の子を幸せにするのと同じくらいの苦労やエネルギーを注げますか?


地球上の親のすべてにそれが出来たらメロウムーンさんのいう政策はぜったいに成功するでしょう。でも、そうじゃないから絵空事に過ぎず、むしろ実行してしまえばきわめて危険な政策になるのです。


たとえば・・

あなたの子息は親の苦労のかいあって人並みのしあわせを手に入れています。


ですが、世界の大多数の子は人並みの教育さえうけられません、ですからあなたの子息は人並みに教育をうけてはいけません。


たとえ我が子に人並み以上に教育を受けさす余裕があったとしても、あなたがその資金をどんなに死に物狂いになって稼ごうとも、それを自分の子供についやしてはいけません。


それは我が子にはつかわず世界中の子供たちに平等にわけ与えてください。

政府にそういう風に言われたら、あなたはどう思いますか?


今までと同じく勤労意欲を維持できますか?


絶対、バカらしくなりますよね?


働いて人の子まで面倒みるなんて損な役回り辞めて、人の親に我が子を面倒見させるという、寄生虫側にまわりますよね?


でも、全員が寄生虫になったったら寄生される側が一人もいなくなるので寄生さえ出来なくなってしまいますよね?つまり、こんな仕組みは破綻するということです。


メロウムーンさんが死に物狂いになって僕の子のぶんまで働いてくれて、うちの子の面倒まで見てくれるなら、僕ならば、仕事せず食っちゃ寝して昼間から酒飲んでます。だってそんなことしても子弟の教育レベルは平均値を維持できるんですもの!働いても働かなくても子供の幸せの程度が同じならば誰だってはたらかないほうをえらびますよね?


だけど親が全員働かなくなってしまったら誰が人の子まで面倒みきれるんです?もちろん寄生虫ですから自分の子の面倒だって見きれませんよ。



話は変わりますが、winnyとかグーグルは、ページランクとかキャッシュといった資産を”与えなければ貰えない、もらいたけりゃそれ以上を誰かに与えよ”というシステムにして、与えてもいないくせに貰うメリットばかり受け取れる不埒な奴が出ないようにして、なるたけ多くの人が公の場に資産を供出したがるシステムになってます。


経済や基金や政府だって仕組みは同じです。個々に分配される量より、中央に集積される量が多くなるように調整して、余剰資本をつくりだし、その余裕をもって、ページランクを懲罰的に下げるとか、福祉を弱者に重点的にわけあたえて不公平を是正するとか、執行機関(政府)の恣意的な再配分を可能にしています。



だけどこの場合、そういう仕組みになってないわけですよね?貰っても与えることを義務付けられてないわけですから完全な貰い得になってますよね?ってことはだれも与えたがらなくなって与えるべきものが消滅してしまうってことですよね。



とにかく、僕はなんとののしられようとかまいませんが到底博愛者じゃありません。だから人の子のぶんまで面倒見ようとはおもいません。大体まだ子供いませんけど、おそらくいたとしたら自分の子でさえ精一杯だろうとおもいます。


だいたい親ががんばるのは自分の子を幸せにしたいがためです。ほかの人の子が幸せじゃないからといって、”お前の子だけしあわせになるのはけしからん、お前の子よりももっと不幸せな子に使うから、お前の溜め込んだ育英資金をよこしやがれ!”といわれても僕は絶対に渡さないでしょう。僕はそこまで博愛主義者じゃありません。おそらく世の親のほとんどが博愛主義者ではないでしょうから僕と同じように思うはずです。


僕がもし育英資金を奪われると判っていたなら、さいしょから一生懸命はたらかず、自分の子に対する教育投資は最小限にとどめ、他人の親がこつこつためた育英資金のネコババを狙います。いわば”幸せにせず人のふんどしで一挙に幸せにさせる怠惰戦略をとります。だってそれが一番得な戦略でしょ?最小の支出で、最大のメリットがもらえるんだもの・・・いずれは奪われてしまうのだから育英資金を溜め込む行為は愚の骨頂以外の何者でもありません。



でも、そうなると、僕が当てにしてる”他人の親がためこんだ育英資金”だって、その親がいずれは人に奪われるもんだとあらかじめ判っていたのなら、バカらしくなってしまって資金を溜め込まなくなるはずですのではなから存在しない可能性が高いですよね?


あたりまえですが、存在してないのなら誰もそれを当てに出来なくなりますよね?。


社会が、自分で自分の子の教育費をまかなう必要がなくなって、人の育英資金をアテにするシステムになれば、世界中の親が誰一人として教育資金を溜め込まなくなり、子供に教育費を払う存在そのものが消滅し、子供の教育資金は底をつきます。


ってことは、我が子はおろか、この世の誰一人として、教育をうけられなくなるということになります。こんな社会は幸せですか?理想郷ですか?


国が税金を投入すればいいではないかといいますが、その税金だって無から沸いてくる訳ではなく、国民=勤労世帯つまり人の親から無理やり徴収しないと集まりません。教育目的と特定して徴収してるわけではないから、普通にあつまってきた税を教育に配分すればいい話ですが、それでもかなりの負担になります。


だったら最初から教育目的で溜め込んだ基金を使ったほうがよほど合理的じゃないでしょうか?


親は我が子が幸せになるための苦労は他の苦労と比較して苦にならない生き物ですから、自分の子供の学費になる金を稼ぐことは人の子の学費や学費以外の目的の資金(税金)を稼ぐときよりも何倍も喜びが大きいでしょう。となれば、国が強制的に徴収するよりも、何倍も多くの育英資金を集められることと思います。


というわけで、血縁や愛情に則った資本投下は、教育世界においてもっとも効率のいいシステムなので、あまり政府が関与や是正をすべきではないという結論となります。


子弟への十分な教育投資ができないのは、飲んだくれの親父とか、家庭を顧みないパチンコ三昧ヤリマン母などになりますが、パチンコや飲んだくれをしてるということは子供を幸せにしたいという意思がないということを意味するともいえます。


そいつが我が子幸せにしたくないのなら、そいつが、もとからそういった世界を所望しておるのなら、無理に幸せにする必要がないともいえます。そもそも子供を幸せにしたい親がそんなことをやってるはずがなく、もっと稼ぎのいい仕事見つけたりして死に物狂いでがんばってるはずでしょう。


だったら、是が非でも子供を幸せにしたいという意思が旺盛な親のほうを優先的に援助すべきでしょう。ですが、そもそもそういった親は既に子供のために相当の努力うや資本投下をしていて すでに子供に十分な環境を与えているはずですので援助の必要があまりありません。


ってことは、”子供を幸せにしたいという意思はあるんだけど、子供を幸せにできる環境におけていない親”のみを援助するべき・・となります。


でも、意思なんてどうやって証明するのでしょう。援助がもらえるならだれだって”私は子供を幸せにしたいんだ!”と言い張りますから、そんなもんは全くの自己申告になってしまい意味がありません。


となると、唯一の証明は、己の今までの行いのみとなります。子供を幸せにしたいなら、もっと働くなりいい家得るなりしてとっくに子供に幸せな環境をつくりあげていなきゃおかしい。親が、子供を幸せな環境におけてないということ自体が、その親が子供の幸せに無頓着だという証明になる・・ということです。



これが言えてしまえば、極端な話、親の意向のみを汲み取った場合、助ける必要がある家庭などこの世に一つもなくなってしまいます。


1 子供を幸せにしたい親、幸せな育児環境=必要なし
2 子供を幸せにしたくない親=不幸な育児環境=親の意思に即したら必要なし、子の意思に即したら(子がよりよい環境を望むのなら)必要アリ
3 子供を幸せにしたい親、不幸せな育児環境=幸せにしたいなら不幸せな環境にさせてないはず、不幸せなのはお前が子供を幸せにしたい気持ちが無いからだ!=2と区別不可能なので対処は2と同じ
4 子供を幸せにしたくない親、幸せな育児環境=もちろん必要ない。っていうかそんな虫のいい家庭は存在しないので考える必要なし。


子供の意思を尊重して、2と3の場合にのみ援助するべきでしょう、ですが子供が高等教育をうけたくなくて、親が子弟の高等教育を熱烈に望んでいて、なおかつ高等教育を受けさす環境に無い場合、援助する必要は全く無くなります。


というわけで理想主義の破綻理論その2でした