何も出来ないわけではない私 に突っ込み


ただ、よく言われるような、「日本のホームレスは生死に関わる状況に置かれているわけではなく、贅沢な身分だ」などということはまったくなく、野宿生活におちいるということは、死と隣りあわせといってよい過酷な状況で生を生きることであるという認識はあるので、上記のような直接的・日常的な支援を自分もやるべきであるとは思っているのである。

しかし、実際にはしたことがない。(俺註・・ハァ???)「しない」のか「できない」のかはともかく、事実としてしたことがないわけだ。俺註・・ハァ???何いってんの?意味ワカンネ)


ここで大事な点は、ぼくは「した方がいいに決まっている」と思っている、ということだ。


しかし、上記のような直接的な支援をやらないので、その代わりにというか、間接的に何かできることをやろうと思う。こうして野宿問題についての記事を書いたりしてるのも、そのひとつだし、他にもカンパするとか、イベントのようなときに行ってみるとか、そういうことに関する本を読むとか、講演会や学習会に行くとか、それからその事を時々気にかけるとか、直接支援してる人に助言したり助力したりするとか、そういう些細な「できること」は色々あるだろう。

ここでまず言いたいことは、間接的な、些細なことであっても、「何もやらないよりはマシである」ということだ。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20070419/p1


というわけで呆れた僕は突っ込みを入れてきました。


natamaru123 『
さしでがましいようですが、何も出来ないわけではないが、とことわっていますが、世間の人間だってほとんどのひとが手足もありゃ頭も稼ぎも人並みにあるわけで”何もできないわけではない”わけであって、そういう人だって何もしていない人が大多数なわけですから管理人さんはある”善き事”を強烈に思っていたとしても、、実質何もしていなく、何も出来ないも同然ではないでしょうか?


少なくとも、そういう風にしか世間はみなしてはくれません。


管理人さんの熱意は大いに買いますが、私個人の意見としては、実際の世の中は、熱意があるってだけではダメで、当人の気持ちというもんはあまり評価してくれず、おもにどういう結果を出したかで判断されることが多いと感じています。


また、良くしようとしても正しい知識がなければ、物事をよくすることさえできず、かえって悪化させてしまうことだってありえます。世の中を良くする正しいやりかたを知っていなければ、たとえ世の中を良くしようと熱烈に思い焦がれていても、あるいは実際に世の中を良くしようと活動していても全く無駄あるいは有害であり、当人は世の中の役には立てていらず、疫病神とみなされてしまうわけです。


ミスするしないに関係なく医師はなおそうとして医療処置をほどこすわけですし、ゆとり教育の発露は生徒を救いたいというきわめて人道的な気持ちから行われました。ですが、かえって格差拡大によって底辺生徒を苦しめたり、人をしなせてしまっているわけです。熱意が足りない!といって物事は良くなることはまれで、たいていは正しいやり方に修正することで解決するしかありません(熱意が足りないことが原因だったら仕方ありませんが、そんなことはまれです)


医師がどうしたら患者を救えるか知識を集積せねばならないように、政治的、経済的に、どういうことをしたら貧困者がすくえるのかという現実の仕組みを見抜いて集積しなければ政治問題は解決できません。解決したいと願っていても、願っていないことと同じと世間はジャッジします。さらに、己が為政者で、貧困解決を解決しようとしてある政策を実施したが失敗しかえって貧困者を増やしたり死においやってしまったとしたら、世間は彼を猟奇殺人鬼と同様の扱いをします。


これは、患者は医師が正しい処置をして己をなおしてくれるかどうかしか興味が無く、医師の内心なんてどうでもいいとおもってることと同じです。医療ミスをしたところで、そのミスしたかどうかが問題であって、ミスしなければ心の中で舌だしてようと人道的な医者、なおせなければいくら患者思いの熱血医師であろうと人道に外れた医師とみなされるというわけです。政治や経済の政策を立てる為政者、政策となえる教授、理論家もこれとおなじわけです。


医学もエンジニアリングも社会学も経済学もみんな同じわけで、人体の仕組みを解析するエンジニアが医師ならば、社会の仕組みを分析して、これをこうすればこうなるんだ。。。と分析する社会のエンジニアが政治家や企業家なわけです。


もし貧困を救済したければ、起業して経済の仕組みを会得して経験も熟練技術も無い貧困者を雇用できるような新規需要を掘り当てることを目指すのが一番の近道です。っていうか、経験と熟練がないから貧困者やってるわけで、なくても生産力を発揮できる職が出来れば貧困問題は解決できるはずですから、左翼活動家自身でさえ、道はそれしかないことは十分わかってういるはずです。判ってるのに言わないのは、自分ができないから、自分がやくにたっていないことを認めてしまうことになり、都合が悪くなるからです。


あるいは医師や理工学の研究職となって、貧困者でも低コストで健康保持ができる運動グッズや薬やサプリメントを開発するべきです。医師になれなければ医師が発明したものを商業ベースにのせるための企業家になり、企業家になれなければ開発品を企業に供給する医師や発明家になるべし。。ということです。これだって、健康を促進する商品を安価に供給すれば貧困者の生活が底上げされるということは秘密でもなんでもなく自明だということは誰もが知っています。やはり、これは自分ができないからみとめたくない。。ということで、大方の市民運動家はこの分野に冷淡です。経営も医学もどちらもできなければ投資があるでしょう、貧困者をたすけたけりゃ医薬品ベンチャー投資にでもすりゃいいのです。


それももできなかったら彼ら研究開発者をいやす温泉やマッサージ施設の管理者になって間接的に貧困解決に貢献するとか。。そのまた間接的に温泉業者の納入する部品の生産にあたる企業を立ち上げるかしてそのまた間接的に・・・・というわけで、今の日本で、ひとなみに真っ当な仕事ではたらいていれば、なんらしかの貧困解決に貢献していられるわけで、めったなことでは、貧困拡大を促進している人非人にはなっていないはずです。なる場合というのは、為政者となって、世の中を正しくする方法を知らずに誤った政策を行ってしまった場合くらいでしょうが、でも、こんな奴は今の日本では選挙でおとされますから大丈夫です。


というわけで、結論は、貧困解決を思いこがれる純情で熱狂的な人は屁の役にも立たず、どうやったら貧困が解決できるだろうかという正しい知識を会得している皮肉屋で賢い人間のほうが世の中では必要とされている、よって人は後者になるべしということでしょう。正しいやりかたをしっていなければ、いくら口で言ったって心で思っていたって世間は認めてくれず、無意味だってことですよ。


管理人さんも何時までも子供じゃないんだから、こんな幼い考えはいいかげん思春期で卒業したらどうですか?そうしないと貧困者の役に立つ人間になんて一生かかってもなれませんよ。世間で何もおもわず何もいわず、何も活動していない人のほうが、よほど貧困者の生活の底上げに貢献してますよ。貢献していない人だって、それを重々自覚し、そういう人が役に立ってるのだと敬い、そういう人に近づけるように日々精進していますよ?こっちのほうがよほど生産的で前向きで貧困撲滅になりますよ?でも、そうしないのは、地道な仕事なんて魅力なくてしんどくてつまんなそうだからやりたくないから価値をみとめたくないんでしょ?暖かいベッドの中でやストーブの前で貧困撲滅を思い焦がれたり理屈こねくり回したるするだけだった寒空の中警備員として働くことよりはラクですから、なるべくなら前者のほうが社会の役立ってるっておもうほうが都合いいですからね。


とにかく、管理人さんだけでなく左翼活動家といわれる皆さんに言いたいのですが、そんなに貧困者や病苦者を救いたいなら、組み立てホームレステントや車椅子のアイデアの一つでも特許庁に提出したらどうですか?どうしてしないんですか?図面の技術を会得したいなら練馬区の職人町に弟子入りでもしたらいいでしょう


左翼のひとたちは。自分は社会運動などで市井の一般人よりきつくてツライ役をうけおってるといいながら、よくみてみれば、それは己の技能欠如による不可避な苦労であり、技術会得などの、みずからえらんでする苦労をしようとはしていない。これじゃ、単なる無能が苦労してるだけのことであって、人を助けるための苦労をする気がないってことだよ。


高いかねを稼げる技術というものは、世間に高くのぞまれているということだから、その欠如は人の役にたとうとする意気込みの欠如を意味するはず。医師や技術者へのまい進の尻込みなど、あえてかぶる苦労の回避も、人の役に立とうする意思の欠如にほかならない・・・・ってことは結局市民活動家連中なんて、人の役に立つきもちなんてさらさらないということになる。だって本当にそうおもってるなら、こんなことせずとっくに車椅子職人に弟子入りしたり国境なき医師団としてボツワナに赴いてるはずだもの・・・』 (2007/04/20 15:06)


natamaru123 『訂正

世間で何もおもわず何もいわず、何も活動していない人のほうが、=世間で何もおもわず何もいわず、何も活動していないけれど、地道にはたらいている人のほうが、』 (2007/04/20 17:13)

Arisan Arisan 『ええと、上記のなたまるさんの意見を、ぼくのエントリーの参考資料にしてください。
要するに、こういうひどい考え方や言説が現実に流布しているので、微力でも何かすることには意味がある、ということです。』 (2007/04/20 20:57)

natamaru123 natamaru123 『
ほほう・・なるほど、そう思われるようでしたら別に止めはしません、じゃあ、僕にももう一言いわせてください。


たとえばの話、雇用が無い場所に住んでるので雇用がない。だからといって、不平等だ格差だ雇用をおらが町にもってこい!という理屈にはなりません。雇用のあるところにそっちから来い!というしかありません。理髪店、酒屋など人が集まっているところに雇用ができることもありますが、普通は、流通に適したところに会計士事務所や工場やオフィスができ、その雇用があるところに人が集まるのです。工場プラントは集中してつくらないと功率悪化をまねくので労働者の家の玄関先に分配してもっていくことはできません。職が無くなればその場所は人が出て行き寂れて、新興産業発祥地は人が流入し栄え、ゴーストタウンから出て行った人は新たな職がある場所に移動します。


これは時代の流れによる構造の変化で、いつの時代にも見られた普遍的な現象であって、資本主義のもたらす害悪でもなけりゃ阿部内閣が推進する格差拡大でもありません。ましてやメシア的宗教家のいうこの世の終わりの兆候でもありません。人生を長く生きてきた人や、若くても年配者の話をよく聞いてる人ならば、古来からおこなわれてきたありふれた現象だというのは感覚的にわかります。ですが、ガキだったり、若くなくても世間知らずだったりすると、そこらへんの感覚がつかめず、これらの現象をみて、世の中が昔より極端に悪化していて、地球や資本主義がどうかしちゃうんじゃなかろうか?とへんてこりんな杞憂をいだきカルトにはまる下地づくりの自分の心の中でおこなってしまいます。


職場と家賃の話に戻りますが、家賃が高くては可処分所得が多くなりません。多くするには給料を高くして家賃をおさえるしかありません、ですがや安い家賃は田舎にしかなく、高い職場は都会にしかありません、そうすると交通費がかかってしまいます。っていうか交通費がかかる分だけ人気がないから家賃が安くとどまっているわけです。都会や窮屈でストレスがたまりますが田舎は職がありません。


この世にうまい話はありません、ですが個人にとってうまい話や抜け道がないということは、逆に考えれば社会のバランス機構が正常に機能していて、それだけ公平でうまくいっているともいえます。


家賃や生活費の安いところにすんで給料の高いところに勤めれば誰だって大もうけができます。そう考えている人は世界のなかでたくさんいるでしょうから、ニューヨークや東京はボツワナの砂漠民からシベリアのイヌイットまで世界中の人間が集まり、一平方メートルに一万人の人間がひしめき合い、数億人が数万メートルの高さまで重なりあって、下のほうのひとが数千万人ほど圧死ししてるはずですが、現実にはそうなっていません。市場原理のバランス機構があるからです。


密集による環境悪化や家賃の高騰によって自然に格差は是正され、多くの地方人は田舎暮らしと天秤にかけて都会暮らしは家賃が高く環境も悪いわりに可処分所得は現状と大差ないと皮算用して上京をためらい、群馬の田舎や氷山の上にとどまるからです。給料がたかいところは家賃が高くなり、交通費が余計にかかるところや職がないところは家賃が安くなるので収入から支出をひいた可処分所得は均衡化する。よって人は何処に住んでも同じになるということです。


この、職の無い場所とある場所の対比は、だいたいの物事について当てはまります。先進国や貧しい国、責任ある高給仕事とルーチンワーク的な補助仕事の対比についてもあてはまります。左翼のいう俗に格差といわれる問題にしろ、ほとんどは単なる条件の違いであって、社会構造上の一特徴や経済のバランス機構の一種であり、そもそも社会問題ですらありません。問題ですらないことをさも問題であるかのように言うのは、政府を批判して点数をかせぎたいという戦略のためです。


また、世の中には、わざわざ対策しなくとも自然現象で是正される諸問題というものがあります。たとえば女性は、しらみだらけのぼさぼさ頭や残高ゼロの預金通帳やダンボールハウスを見せ付けられて股間を濡らさないような生理的構造をしていますので、”女性たちよ!乞食の嫁にいかないように!乞食の子を産まないようにもし嫁にいって子供を10人うんだらその子たちはカワイソウです”などと啓蒙する予算を国家が計上する必要はありません。頼まれなくても世の女性は猟奇殺人者や乞食の嫁になることを避けようとします。ですからこの世にかわいそうな子が生まれる心配をする必要がありません。



職場や住環境もそうです。時給10円で、ミスしたらナタで手足を切断される職場は、もし就職したら不幸になりますから、こういった職場へつかないように政府が啓蒙する必要があるでしょうが、そんな仕事についたとしても従業員は一日でにげだし、隣で手足も切らなければ給料もらえる職場があればほっといてもそっちに勤めるでしょうから、その会社はだれ一人として人があつまらず営業ができませんので、鬼畜経営者は誰の手足も切断できなくなります。っていうか、最初からみながそういうふうに思うのではなっからそんな会社は存在しませんので、左翼が”そんな会社があったら俺たちは断固として戦うぞ!”と思い煩うのは杞憂です。ぶっちゃけ人件費と金の無駄です。そんなことするならほかにそのエネルギーを費やすべきです、人類はそんなバカではありませんし、そんな陥穽にはまるバカならば、どうやったとしてもすくいようがありません。


バカに闇雲に援助しても莫大なロスになるばかりです。効率の改善、ロスの穴をふさぐ必要があります。エネルギーロスの改善、効率性の改善とはバカで無能なやつを有能にするということです。生活援助でなく教育と啓蒙で改善するということです。


教育したり研修して人の役に立てる人じゃないと教育や研修しても意味がありません。当然ながらカンタンな技能で人の役には立てず、役立つものであればあるほどマスターするのに難儀な高度技術になります(カンタンで人の役にたてたらとっくにみんながそれをやって困ってるひとなどとっくに撲滅されてるはず)。だからまるきりの無能ではだめで、ある程度資質的に優秀でないといけません。そうじゃない、覚えの悪い奴に教育したところで、技能のマスターに時間がかかりすぎ、覚え終わったころによぼよぼのジジイになってしまい、かけたコストを回収しはじめようとしたら死んでしまうので割にあいません。技能習得終了と定年退職の間が多く取れるような、頭のいい人材にしか教育しても割にあいません。医学や法学など、高度なものであればあるほどそうなります。


今の世は、経済的な困苦におちていない、サラ金地獄にはまっていないなど、別段苦境に落ちっていない人には教育援助をする必要はあまりありません。逆に、苦境に陥っている人に積極的に教育の援助すべきです。ですが教育して効果があるような優秀な人は、はなから苦境になんか陥ってなどいません。目先が利き、利巧ですから穴があったとしてもたくみに避けてしまいます。


穴に落ちるということ自体、教育を受けさせても無駄になる人材すなわち無能という何よりの証明になり、逆に、穴に落ちていないということは教育を受けるにあたいする証となるわけです。これはある種のパラドックスです。穴に落ちていないひとは援助する必要がありませんから、暴論かもしれませんが、教育や研修による援助はこの世では誰をも必要としていないということになります。



いろいろ構造分析してみると、スキルも教養もいらずに意欲だけをもって可能な人助けというのは、この世にはほとんど無いということがわかります。やろうとするとどうしても医学や経済の仕組みの把握などの、一筋縄ではいかない高等な技術のマスターが必要となってきます。なぜかというと、そもそも近代文明自体が(いろいろと批判もあろうが)一種の”困った人の救済装置”であり、それ自体が複雑なからくりをしているからです。っていうか、高度技術を使わずに人が救えていたなら、人類は文明をおこさずとも人が救えていたはずです。まじないや祈祷ですくえなかったからこそ人は文明を発展させたわけで、人をすくいたけりゃ、人をすくうためにあみだした人類の英知すなわち高度技術をマスターするのは必定ということで・・あたりまえといっちゃあたりまえのことです。でも、これがわからないと、いつまでたっても左翼的小児脳を脱出できないんですよ人間ってのはね。



というわけで、まあ、うざいと思われるのも自由ですが、老婆心ながらとりあえず書いておきました。』 (2007/04/20 22:02)


Arisan 『「もう一言」が長いよ(苦笑)。』 (2007/04/20 23:06)