「フリーターニートホームレス」を読む・その2 への突っ込み

前回は、「? 「フリーター・ニート・ホームレス」そしてジェンダー」という章について論じたところで終わった。そこでは、今日のいわゆる「不安定就労問題」が、過去のみならず、現在においても『ジェンダー抜きに語ることが不可能である』という認識が示されていた。・・・・



コメント


仮にプロ野球球団に三軍や四軍が創設されれば、球界は年収200万程度の貧乏選手を多数かかえるようになり、テーター的には選手同士の格差は今までよりいちじるしく拡大します。ですが、これはいままでより球界の待遇が悪化したことを意味はしません。


試合でプレイをするのはだいたいがトップの1パーセント程度ですので、底辺がどうなろうとプロ野球の仕組みや性格自体は創設以前も以後もあまりかわらないでしょう。上原投手と新人一軍投手の格差が変化すれば、野球は変わったとかこれは問題だとかいえるでしょうが・・


結局、これは格差拡大ではなく、野球が規模拡大しなければ、野球の道をあきらめ市井の勤労者に埋もれていたはずの人たちが底辺野球選手に移行しただけであって、単にいままでデータからこぼれていた、”野球をあきらめた一般人とプロ野球選手という、まるで関連の無い二者同士が結びつけられて格差として大量に顕在化したというだけの現象にすぎないということになります。


三軍選手だって、たとえ年収が低くても、いままでは、”野球選手になる”という夢すらかなええられることができなかったのですからものすごい前進です。・・ですが、このようなパラメーターは統計上のデータからこぼれてしまっています。


実はサヨクのいう格差問題も似たような欠陥をかかえています。サヨクのいう格差拡大の理屈が、野球志望者の自己実現を取りこぼしているのとおなじことをしているため理屈が変になっているのです。



確かに世の中が進歩して食っていける人間が増えると格差はなぜか猛烈に拡大します。一見して、世の中が進めば進むほど格差が大きくなるので”苦しむ人が増えるのでもう進歩すな!”と世の中に言いたくなる気持ちもわからないでもないです。


ですが、これは錯覚で、誤った考えです。実は、見えない格差が見えるようになっただけと考えられます。


なぜなら、この世に人間の形と生きて出てきた人だけで、人間として出てこれなかった人はカウントされていないからです。



出てこれなかった人とは誰?


オナニーティッシュの汚れとナプキンの汚れとにそれぞれ分離されて出てきた存在、それと水子地蔵です。


親世帯が経済的に余裕がある世であれば、人間として現世に出てきますが、夫婦に稼ぎがたりなければ中絶手術を受けざるをえず、あるいは妊娠すらせず、膣外や避妊具内に出され人間の形になりません。あるいはそれよりも余裕がなければ、父と母になるはずだった二人は経済的な理由からそれぞれ独身を脱出できず、別々にゴミ箱に汚れを排出していたかもしれません。


サヨクが上げるデーターは、水子地蔵が人間として生まれることができたという、この自己実現のプラス分がまるまる欠落しているのです。世の中が豊かになれば産むかどうか迷ってる期間中の親夫婦が産むことを決断することがそれだけ多くなるわけですから、豊かになれば水子からの昇格はそれだけ多くなります。ですが、そうなると、生きた人間として統計の範囲内にからめとられるようになり、(ちょっと前だったら生まれるはずでない命ですから、当然、たいした待遇は与えてやれないので)三軍選手と同様に浮世では底辺をさまようことが多くなり、はたあらみれば底辺の水準がが下落してるようにみえます。そうかんがえず、水子になる人間が人間界の底辺に参入してきたと考えれば、底辺はむしろ上がっていると考えたほうが理にかないます。発展や進歩による人間界の規模拡大によって、この世に送り出すことができる人間の許容量が拡大したことを、野球が三軍や四軍まで面倒見きれるようになったことにおきかえれば、問題はまるきり同じです。


世の中が進歩していままでは水子地蔵とテっシュのしみのような物体として現世にあらわれるはずの存在が、”稼ぎに余裕がでてきたので”ねえ、そろそろ赤ちゃん産んでも大丈夫じゃない?”と受精期間中の両親が思い、ナマ性交を試み人間の形に昇格した。そしてそれが社会学的な統計の範囲内におさまるようになったのでサヨクがそれをとりあげて進歩否定、資本主義批判、与党攻撃の材料としている、と、一方底辺庶民は、アタシは江戸時代ならこの世に出てくることすらできず、ここでこうして料理もお酒もたしなむことができなかったんだから、少々つらいことあるけど、ここまでしてくれた両親と世の中さまさまだわね・・”とオトナの考えをしてサヨクになびかないというわけです。


理知的な集団はもちろん、未開な地域でさえ土俗的宗教や慣習によってこのような考えや教育ができているのに、どうしてサヨクはそれができないのでしょうか?そして悲惨な野球選手が増えただの日本はまずしくなっただのウソばかりわめいています。(っていうかそれができない輩のことをサヨクって呼んでるんか・・ああ納得。)


確かに、江戸時代は三千万程度にすぎなかったのが今じゃその四倍近くいるわけですから、水子ラインの候補が大量に現世に飛び出し、日本の戸籍や選挙権をえていることはまちがいないでしょう。サヨクはこういうことも勘定にいれなければなりません。



江戸時代だって、水子地蔵と現世の人間との格差はおおいにあったのだが、潜在化してただけです。豊かになるということは、いわばティシュのゴミや水子の顕在化にほかならないのです。ありさん氏よ、理解していただけましたか?




まあ、”水子として何十億年も無間地獄をさまようよりもこの格差社会で底辺を生き抜くほうがよっぽどツライのだ”なんて思ってる根性なしの野郎でしたらこんなこと言っても無意味でしょうが。まさかアリサンはそんなこと思ってないでしょうねぇ???