ひとこと集 2

中国が戦前の日本をやたらと非難しまくるのは、日本軍がそれほどひどい奴じゃなかったという真実を今の中国人が知ってしまったら”共産党より日本軍に治めてもらってたほうがもしかして俺たち幸せだったのでは?”という感情がわきおこり、党の求心力が無くなってしまうから、それを是が非でも防止したいためである。


今の共産党の鬼畜っぷりを見ればだれだってそう思ってしまう、下手すればイギリス人や満州八旗よりも好感度は低い・・・


自民党幹部や野球監督が人々から非難される割合が、ヒラ社員や野党と比べて多いのは、彼らが後者にくらべて好ましからざる人間だからではなく、物事を決定しているという、より批判されがちなポジションに就いているからである。


誰かが物事をきめれば誰かが不満を持つ。その決定によって拘束をうけるメンバーの誰がしかが抱く不満の総量は決定された内容にかかわりなく一定である。彼らが非難されないようになるためには、物事をきめるのを禁止するしか道はない。だがそんなことでは社会も試合もやっていくことは不可能である。




だが、重責あるポジションをまっとうできるすぐれた人材よりも、そのポジションにつくことすらできない劣った人間のほうが数量的には多いので、前者より後者の溜飲をさげることを稼業にした者のほうがより多く社会にはびこりやすい。


証拠に、この世は、想を標榜してるだけの”見てくれだけなら最優秀”なカルトな宗教や政府機構や企業の宣伝だらけである。インドの教育、スイスの国防、優れたものは宣伝なんかしない。してしまったらアドバンテージが無くなってしまうではないか。わざわざ自分が損する真似などするだろうか。喧伝に積極的なシロモノなんてろくなもんじゃない、優れているなら黙っていても口コミで伝わるので宣伝の必要は無いはずだ。




自分が率先して底辺におさまることにより、一人の人間が転落したポジションに陥ることを防いであげているような錯覚に陥るがそんなことはない。

ドキュン職は個人にその上の職がつとまるだけのスキルが足りないからなるんであって定数はなく、自分がなってもなる奴はなる。競争参画しないことにより競争の倍率が下がるので製品(人材レベル含む)の質が下がり(自分を含む)消費者がデメリットをこうむることで損得は相殺されている。

劣悪な雇用環境にいる労働者が存在していること自体が、悪徳資本家の跋扈を助長する行為なので他人に威張れない。

その労働者が容易にその上の職に就ける立場にあれば雇用側は低賃金や長時間労働、手抜きなどの無茶をいえず、従業員が一人もいなくなって事業がなりたたなくなるので悪徳資本家の存在は消滅する。虐げられているとしきりにわめいているが脱出の努力を怠っている底辺労働者の存在は、賃金低下圧力をかけ、悪徳事業を延命させたりして、実は悪徳資本家の事業を助けてるも同然なのだ。その事業が悪で自分がやりたくないのならほかで働いたほうが自分も消費者も助かるのだ。