”安全弁”との禅問答


Q●我々は”安全弁”だ。我々が活動をやめたら体制は暴走するのでは?

A とり越し苦労です。今の活動自体が無意味なのですから、それを止めたところで日本の社会的弱者の待遇や教育事情は何ら悪化しません。むしろ余計なことに煩わされ、にかえって好転するでしょう。


Q●私は、人を統率したり、人体を切ったり、数字とか機械とにらめっこするリアルなものよりも、どっちかというとバーチャルな、SEX評論とかサブカルとかゲーム評とか、思想のほうが性に合う人なんだ。数字や人間関係と格闘するのはそれが得意な人にまかせて、自分の得意な分野で社会に貢献したいなー。

A それはわがままです。そうおもうのはそれが楽しくて覚えるのが簡単だからです。加工の難しいリアルより脳内でいくらでも加工できるバーチャルがラクなのはあたりまえです。難しくて責任重大なジャンルはだれだって避けたいんです。工学や経済のひとだってホンとは文化だ小説評論だって、失敗リスクの無い気楽なバーチャル世界でうつつを抜かしたいでしょう。でも、人類に切実に必要なモノじゃないと需要がおこらず食ってはいけないのでやむなく皆さんはそっちにすすんでるのです。彼らだってホンとは得意じゃないしやりたくないはずです。ですが、我慢しているのです。

オトコだったら誰だってアダルトビデオの男優や監督でくらしていきたいでしょう。唄をうたったりマンガを書いたりするのは、子供時代はものすごくたのしかったですよね?でもそれを職業にできますか?人類はラップやマンガが無くても死なないし、人気があるのでねこもしゃくしも集まりすぎてしまって賃金水準が生活維持レベル以下にまで下落してしまうから生業としてなりたたなくなってしまう

だからチンポの射精や唄は趣味の領域であってそれで生活はできないんですよ。儲かる仕事はその逆なんですよ。きつくて新入りのアンちゃんが続々とやめてく稼業ならばしばらくいつづければ食っていけるようになります。文化だ批評だ新聞投稿だなんてのは射精やカラオケとおなじなんですよ。日曜画家や日曜歌手はいても日曜高所作業員や日曜シロアリ駆除業者なんていませんよね?

気がめいる数字や人間関係は誰かが負担しなければ社会はまわりません。これらを責任放棄するのはひきょうです。

百歩下がって、人はどうしても出来ないことややりたくないことがあるでしょうから、逃げるのはしょうがありません。だったら、せめて、自分が逃げたひきかえにそれらを余計に負担している人を敬ってやってください。そして、そういった立派な人にたいして、気楽な位置から非難をしないでください。その非難が的を得ていればまだ救われましょうが、まるで的外れなのですから始末に終えません。それがサヨクさんたちです。だから実世界をわかっている人にムカツク気持ちを抱かれているのです。