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僕の反論のつづき

間違っていません??

>実例として、GDP(PPP)世界第72位のクロアチアでは近年ネオナチズムの台頭が著しいと言われていますが、GDP(PPP)世界第9位のブラジル

あのぉ・・・これって国家総計のGDPでしょ?
これじゃ、クロアチアのような小国が低く出て、ブラジルのような経済規模が大きな国が大きい数値が出るのはあたりまえでしょ!!もし出すのであれば一人あたりのGDPですよ。。

権利取得のプロセスに権利が必要となるこの矛盾
>国民の権利とは「体制によって与えられるもの」だったのですか!!!初耳です。(略)日本の戦前は確かに全体主義国家であり、現在日本国憲法において・・・・


表現が悪かったですね。既存の体制から認められるもの、体制から勝ち取るものとでもいいましょうか。でも、いいかたをかえただけで本質は同じですよ。だって、そう考えないと矛盾してるんだもの

で、一つお聞きしますが、政治的権利を持っていない人が、政治的権利を手に入れようとする場合、どうしたらいいですか?

国が平穏な状態であれば、普通は、人が自分の要求を通すには、選挙や立候補などの政治的権利を使用します。

じゃあ、女性や未成年など、政治的権利がまだない者が、これから政治的権利を取得しようとする運動において、この手はつかえますか?つかえるわけないでしょ?だって、彼女たちは、その肝心の政治的権利をもっていないのだから。

言い換えれば、”政治的権利の無きものが、政治的権利という、政治的権利によってのみしか得られないものを、己の政治的権利をを行使することによって得ることはできますか?”というバカみたいな問答になります。もちろん否ですよね。


たとえば、今の日本にあてはめますと、未成年が投票権を獲得する運動を、投票によって得たり、立候補権獲得の運動を己が立候補して政治家になることによって獲得することは一切出来ません。これも、あたりまえですね。

じゃあ、どうしたいいか?

現在、すでに政治的権利を持っている人たちに、己は政治的権利を持つにふさわしい人間なんだと必死こいてアピールしてするしかありません。政治的権利の保有者に、投票などで自分の意志に沿う行動をしてもらう・・そうして己の権利獲得が実現できる。体制(政治的権利保有者、かれらが支える政体)から”認めてもらう”。”与えられる”と表現したのはそのためです。

らいてうだって、ただ権利くれくれとわめいていただけではない。男性有権者GHQ(政体)相手に、ほーら、日本女性たちはこんなに賢くなりましたよ!”どうですそろそろあちきらにお宝くれてもよござんしょ?”てな感じで(言い方悪いですが)色目をつかいをしたに等しい。でも、悪いことではありません。女性がほんとに賢くなったんか?という疑問に答えるために、”プレゼン材料”が絶対に必要ですから。で、彼女は必死に女性の知的水準を上げてプレゼン材料(=色目=実績)を造ろうとした。闇雲に権利だけを主張していたわけではありません。


もし、仮に子供が選挙権を欲しいのなら、運動をする以前に、子供でもオトナ並みに賢くなる薬物が発明される世の中にし、それを服用し効果を試すなどして、自分がまっとうな候補者選びができるという証明を既存の有権者にプレゼンしなければなりません。


まとめてみます。

権利のなき者が権利を得ようとしても、権利をえるためには権利が必要なのだから、権利なき者は自分のみがんばったとしても永遠に権利を獲得することはできない。とにかく、既存の権利者に助けてもらったり、要求を認めてもらうことと引き換えに何らかの責務を負うなど、相互に協力する必要がある。ということです。

この、権利を金とおきかえて、”金を取り戻す訴訟に弁護費という金がいるのだから・・・うんぬん”と喩えてもわかりやすいかと思います。(かえって判りにくいか?)金のない訴訟者は、金のある人に借りるなりして裁判を戦うしかありませんね。それと同じです。



2007/02/24(土) 06:10:51 | URL | もんも #mQop/nM. [ 編集]

こういうこと

ミームジーンは不可分だからです。

子供は自分の親が育てるのが一番だ。そうなると、
A子供にある性質が現れたとき、それが、

1●親から生物的に受け継いだ遺伝
(=違う親や環境で育てられても
 同じ性質が発生する)なのか、あるいは
2●教育的に受け継いだ文化継承
(違う環境で育てば発生せず、
 違う子供でも同じ環境でそだてれば発生する)
なのか見分けがつかなくなるということです。

強引に実証するとしたら、

1●同じ親から生まれた双子を違う環境で育てる
2●違う環境に生まれた、似たもの同士の子を
 集めて同じ環境でそだてる
とかしないとダメですが、そうなると、

今度は、子供がドキュン化したとき、それが
1●”血縁のない者同士によるコミュニケーション悪化
 それによる愛情不足、養育能率の低下
2●環境や血筋に恵まれてないこと”
のどちらによってもたらされているのか
区別がつかなくなってしまいます。



2007/02/24(土) 06:46:09 | URL | もんも #mQop/nM. [ 編集]

mellow氏反論

間違いの訂正について
> あのぉ・・・これって国家総計のGDPでしょ?
ありゃりゃ、ホントですね。てっきり一人当たりのデータかと勘違いしてしまっていました。完全な僕のミスです。
この間違いによって、結果的にもとの文章のクロアチアとブラジルの比較も意味を成さなくなってしまったと思います。間違いを書いたことを謝罪します。すみませんでした。

ただ、そうだからといってネオナチズムの発生と国の豊かさの間に相関的なものは無いと思うのですけど…うーん、でもこれは国家規模の調査をしないと確かめようが無いかもしれませんね。
2007/02/24(土) 08:38:22 | URL | CrowClaw #mJxP.Gqk [ 編集]
個別返信・その3
> ですが、発明家が、(中略)多くの発明家はこのような動機があったはずでしょう。
エジソンやベルが一度でも男女同権を求めるような発言を行っていたというならば、そうした推測も説得力があったのでしょうけれども、少なくとも今に伝えられる彼らの名言・箴言の中にはそのようなものは見当たりませんね。それをして彼らを「フェミニスト」と呼ぶのはやはり無理があるような気がします。

> つまり、政治運動と技術開発は、”非力な女の子を助けてあげたい”という本能的な心理を根底におくことにおいて
”非力な女の子を助けてあげたい”と言う感情は本能的心理ではなくただの家父長主義(マッチョ主義)ですな。フェミニズムの考えとは相容れないと思います。

> まず環境が先にあって、下部構造として道徳(女性はあまりちやほやするな)という道徳ができあがったのでしょう。(中略)おのれをとりまく環境を、準生産者(労働年齢の男性)だけでなく、女性(=育児中は極潰しになる生き物)までもが贅沢をゆるされるような世の中にするしかありません。
日本が近代の発展途上であった時代では、仰られるとおりで全く正しいと思いますが、既に日本社会はそのような問題を乗り越えて、(少なくとも物質的には)豊かな社会になっているのですから、となれば古い道徳(「女性はあまりちやほやするな」)を更新し、男女同権の社会を作っていくことは、経済のレベルでも政治のレベルでも自然なことではないでしょうか。ですから、

> また、女性が生涯賃金や平均賃金がすくないのはあたりまえです。だからといって同じにすべきだ!!ということには絶対になりません。
女性を「育児中は極潰しになる生き物」などと侮蔑したりせずに、女性が男性と同じく働く権利を獲得していこう、という考えが現代の多くのフェミニズム思想が共有している問題意識です。

> もし、生産の配分が、育児や家事をまぬかれている男性が仕事で90を稼ぎ、家の大工仕事などで10とするなら、家事のウエイトが高い女性が仕事で60稼ぎ、家事育児で40だとすると、トータルで男女とも100ですから、何も女性が仕事で男性と同じ額を稼がなくとも立場は等価となります、これを男性とおなじ90まであげたら逆に女性が過負担となってバランスが崩れてしまうでしょう。
これは「女性は男性と結婚して家庭に入るべきである」という封建主義的価値観を内面化しないと適用できない理屈ですね。独身のキャリアウーマンは、同程度の能力を持つ独身の男性と比して不当に引き下げられている30の稼ぎをどう補填するのですか?まさか社会保障で埋め合わせると言うわけではありませんよね。

> じゃあ、男が家仕事を25引き受けて、”平ら”にすればいいではないか?というかもしれませんが、前述したように、これは男性が絹糸つむぎを無理やりやって女性の仕事を奪い、女性に力仕事をさせてトータルで生産力を大幅に減らしてしまうことと同様の大バカ行為となります。
そういう考えをあらゆる手を駆使して批判してきたのがフェミニズムなのです。例示されているような「総合職(管理職)」を例にとって言えば、「拘束時間が不定期で長」いために女性がそのような仕事になかなか就けなかった、それは社会の歪みだから是正しようと考えるのが男女同権主義者の考え方です。
「トータルで生産力を大幅に減」らしてしまうと仰られますが、仮にとても有能な総合職の女性と、あまり有能でない総合職の男性がいたとして、どちらを雇った方が企業にとって得かといえば勿論女性の方なのですが、上記したような事情のためにあらかじめ女性の採用を(総合職において)無くし、わざわざ有能でない男性を雇って結果的に「トータルで生産力を大幅に減」らしてしまうような事態が起きることは、男性優位主義の社会の中では十分に起こりえることです。
そのような事態を防ぐために、企業が成立しているのが「十分な豊かさのある社会」なのであれば、例えば女性が産休を取らざるを得ない部分の企業の利益を社会保障で補填し、有能な女性が有能な男性と等しい利益を企業に齎すことを可能にすると言うのがフェミニズムの発想です。実際欧米などの歴史ある発達した資本主義国家では、女性が産休などのために今までのキャリアを棒に振ったりすることの無いよう、産休中の企業の利益の減少や出産後の育児のケアを国がきちんと行って、結果的に女性が「寿退社」することなく、結婚後も同じ職業で才能を発揮し続けることに成功している例がたくさんあります(各国の労働福祉の例:http://www.gender.go.jp/whitepaper/h15/summary/danjyo/html/honpen/chap01_00_03.html)。
逆に、日本や韓国などアジア圏の国家では、資本主義が未成熟だからなのか文化が男尊女卑的だからなのか、未だに女性の就職状況は「M字型」を描いており(http://www.mhlw.go.jp/houdou/2005/03/h0328-7a.html)、結婚または出産と同時に仕事をやめてキャリアの道を閉ざしてしまう女性が後を絶たないそうです。これは(有能な男性と同数程度有能な女性が存在するとすれば)「トータルで生産力を大幅に減」らしていることと同義ではないかと感じるのですが、いかがでしょう?

> あなた大丈夫ですか??僕の言うことを良く聞いてくださいね。(中略)オリンピック女性も同じです。とにかく、僕はあくまで女性一般の平均的筋力をいったまでで、男性に比べ劣っているので農耕場や重ステの操作が苦手と言ったのはヘンケンもサベツもない生理学的な事実です。現実を見渡してください。
元のもんもさんの文章をもう一度掲載しますが、

> 農機具が軽い力で扱うことができずいまだに牛馬で耕さざるを得なかったら・・・、
洗濯機や脱水機が開発されずいまだに洗濯板で洗うしかなかったら・・・・・・・
車がいまだに重いステアリングやカーナビ無しの状態だったら・・・・

牛はものすごい力で暴れますので力のある男性でないとつかいこなせません。つかえない人は労働に参加できず、その対価(賃金)をうけとることができません。
当然、対価をもらえなけらば地位はあがりません。

洗濯板であらうと、シャツ一枚洗うだけで膨大な時間とエネルギーをとられ、他のこと(自分のスキルアップなど)に注ぎ込む余力はありません。
余力がなければ地位は上がりません。

女性は男性にくらべ方向音痴が多く、ステアリングのグリップ力も劣っています。
パワステがなかったら、ダンプ運転手などの職業につくことを事実上絶たれ、
カーナビがなかったら、日常の雑務において、土地感のある男性の
助けをかりることがおおくなります。
人への依存が多ければ地位はあがりません。<

牛の部分で、「力のある男性でないとつかいこなせません」と言う記述があったので、これは「女性であれば(どんなに力のあるひとであろうが)牛を扱うような重労働は出来ない」と言う意味かと思いまして、その反論として「特例」である筋骨隆々な女性の例を挙げたのです。
僕の誤読であったのでしたらお詫び申し上げますが、もんもさんの仰られるとおりだとしますと、「女性一般の話」の中に「女性は方向音痴が多い」という一文が入っているのはまずいのではないでしょうか。それは「ヘンケンもサベツもない生理学的な事実」と呼べますか?

> 日刊ゲンダイ噂の真相などです、左系で、二人にはめちゃくちゃ厳しい論調が多い。まあ、思想は余りかんけいなく、単に大衆受けをねらってるだけなのでしょうが・・
ああ、週刊誌の話でしたか。それですと多分、思想云々と言うよりも両者のスキャンダラスな一面を批判したいだけでしょう。紙面を確認していないので確実なことはいえませんけども。

> 逆にお聞きしますが”こどもってのは、何だかんだいっても、実の親に育てられるのが一番なんだからさぁ、あんたもがんばりなよ”という市井の箴言は”一種独特の遺伝子感”ですか?これって、社会に通低する、基本的な了承事ではないのでしょうか?私はそれを、”養育能力というのは、血の通った子供相手に最大の力を発揮するのは自明”と言い回しただけです。理解いただけたでしょうか。
僕が「独特の遺伝子観」と呼んだ部分をもう一度引用します。

>ミームジーンは不可分だからです。養育能力というのは、血の通った子供で最大の力を発揮するのは自明だからです。だから、こういうデータをとって、ドキュンの子が大して出世できなかったという結果がでたとしても、”いやいや、自分の実子でなかったから、育て親が養育の士気が上がらなかったのだ!”などと言い訳が出来てしまいます。不確定性原理の一種かもしれませんが、観測不可能=イコール=分けて考えるのは無意味だということです。

だから血筋と育ちを完全に分けて、あるコドモに発生した特徴をあげて、これは遺伝(ジーン)と教育(ミーム)の、どっちが原因なのだろう?と区分けすることはできません。

くりかえします。子弟への教育が、遺伝の源である人物にさせた場合にもっとも効力を発揮するのですから、両者は不可分です。これは、論とか差別とかではありません。<

これが「実の親に育てられるのが一番」という「市井の箴言」ですか?僕は「ミーム」という言葉の意味に関しては知っていたのですが、「ミームジーンは不可分」などとする意見に出会ったのは、上に挙げたもんもさんのご意見が初めてです。お聞きしたいんですけど、この「ミームジーンは不可分」という発想に元ネタはあるんですか?どこかの学者の引用とか。それとも完全なもんもさんの独自見解ですか?
少なくとも、僕が読み聞きしたことのある学者の意見では、「ミームジーンは不可分」などという主張をされている人はゼロでした。

ところで、もんもさんが「養育能力というのは、血の通った子供相手に最大の力を発揮するのは自明」とされる根拠というのは、上に挙げた「市井の箴言」であるということでよろしいのでしょうか。だとしますと、それは単なる宗教的信念であって、科学ではないように思われますけれども。
といいますか、「実の親に育てられるのが一番」という市井の箴言を、「社会に通低する、基本的な了承事」としてしまうのは、(今の日本社会を鑑みると否定できないのが悲しいですが)いくらなんでも酷すぎやしませんか?それって「どんなに良い両親に育てられようと、(育ての両親と)血のつながりの無い子供は不幸だ」と言っているのと同義でしょう。

> 言っておきますが、これに反論するとき、DV暴力母とか育児放棄みたいな”きわめて特殊な例”は出さないでね。お願いだから。
DV暴力母とか育児放棄みたいな”きわめて特殊な例”がたった一件でも存在すること自体、「養育能力というのは、血の通った子供相手に最大の力を発揮するのは自明」という論理が破綻していることを証明しているような気がしますけど。それとも、この理屈も「一般的な家庭に対してのもので、特殊な家庭は論外」ということですか?

> ぎゃくにいえば、確率できめられたら有効ってことになりませんか?っていうか、世の中全部確率ですよね?金持ちの精子をいただいて受精したとき、仮に、その子弟の出世率(こんな定義はあやふやですが仮決めしておきます)が30%、並みなら20%、バカなら10%だとしたら、明らかに違ってますよね。
ですから、そうした「仮」の命題(科学的に証明されていない)を自明の前提としていたのがもんもさんの前回僕がレスしたコメントで、僕はそれを批判したんですけど。上のパーセンテージに全く科学的根拠が無いことは認められてるんですよね?

> 逆にバカ嫁やバカダンナをもらえばバカがうまれる確率は高いだろう。 バカだから商売に失敗する確率だって高いだろう。家を担保に借金背負わさて老後計画がパーになる可能性もたかい。(略)
……と言ったそばからこれですか。あのですね、貴方が言っている「金持ち同士が結婚したら(優秀な遺伝子が継承されて)子供も成功する確率が高い」ですとか「ホームレス同士が結婚したら(劣った遺伝子が継承されて)子供もホームレスになる確率が高い」ですとか「ブスからは(ブス遺伝子が継承されて)ブスが生まれる確率が高い」とかその逆ですとか、あまりにアレなのでこの辺にしておきますが、これはきわめて優生主義的な発想であって、「世の中で成功したり美しかったりするのは優秀な遺伝子の持ち主である」と暗に言っているのと同じですよ。その自覚がございますか?
まあ、そういうことを仰られるだけなら少なくとも有害ではありませんよ。科学者には上で述べたような意見は全く相手にされていませんが、占いのようなものだと思って「優秀な遺伝子」の持ち主とセックスしたり結婚したいと思うことは、個人がそれをただ思って実行に移すだけなら、繰り返しますが有害ではありません。しかし、それが社会全体で実行に移された場合、すなわち「優秀な遺伝子の持ち主はたくさん子供を作って成功しよう」「劣った遺伝子の持ち主は…」……怖くて書けなくなってしまいましたが、かつてのナチズムがこの地球上にどのような惨禍を齎したかを少しでも知っている者なら、安直な遺伝子決定説は言うことを憚るでしょうし、実際僕は上のような主張を行いたいとは絶対に思えませんね。
優生主義についてはインターネット上にも参考になる資料があるので、もしよろしければお目を通されてはいかがでしょうか。「考えを変えろ!」というような押し付けがしたいのではありませんが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%AA%E7%94%9F%E5%AD%A6
http://www.arsvi.com/0p/eg.htm
http://d.hatena.ne.jp/demian/20051208/p1

> で、一つお聞きしますが、政治的権利を持っていない人が、政治的権利を手に入れようとする場合、どうしたらいいですか?(中略)じゃあ、女性や未成年など、政治的権利がまだない者が、これから政治的権利を取得しようとする運動において、この手はつかえますか?つかえるわけないでしょ?だって、彼女たちは、その肝心の政治的権利をもっていないのだから。
> 言い換えれば、”政治的権利の無きものが、政治的権利という、政治的権利によってのみしか得られないものを、己の政治的権利をを行使することによって得ることはできますか?”というバカみたいな問答になります。もちろん否ですよね。
いや、もちろん是ですよ。
女性や未成年が選挙と言う政治的権利を駆使できないのであれば、別な政治的権利を駆使して政府に圧力をかけ、自分達が望むような法律を作って権利を保障してもらえばいいだけの話です。例えば前回引き合いに出した平塚らいてうですと、彼女は女性の権利の拡張を政府に求めるために新婦人協会を結成して積極的な請願運動を展開、政府に自分達の要望(例えば前回書いた治安警察法第五条の改正など)を取り付けさせることに成功しています。要はまあ左翼お得意の「市民運動」というやつでして、しかしこれは何も左翼だけが出来るものではなく(当たり前ですけど)、右翼もその他の団体も、自身に何らかの政治的主張があってそれを政府に聞き入れてもらいたい場合、選挙を経ずとも結社を結成して直接自分たちの意思を政治家に伝えることができます。

勿論、選挙と違ってこのような運動によって伝えられた要求が実現するかは未知数ですし(選挙であれば自分の希望する公約を掲げた政治家や政党に投票してその候補や党が勝てばその公約が実現する可能性は高いですが、上記したような運動においてはそもそも政治家側に要求されるような施策をする意思が無い場合もあるわけです)、アメリカのロビー活動がよく批判されているように、あまり多用しすぎると間接民主制の原則が崩れて政治腐敗を招くのも事実なのですが、それでも、選挙によっては自分の意思を伝えるのが難しい国民の要求を伝えるためにはこういう権利も保障されているのが国民主権の国家なのです。

> 現在、すでに政治的権利を持っている人たちに、己は政治的権利を持つにふさわしい人間なんだと必死こいてアピールしてするしかありません。政治的権利の保有者に、投票などで自分の意志に沿う行動をしてもらう・・そうして己の権利獲得が実現できる。体制(政治的権利保有者、かれらが支える政体)から”認めてもらう”。”与えられる”と表現したのはそのためです。
仰られるとおり、上記したアメリカのロビー活動などでは政治家などの権力者に献金などを用いて取り入ることによって、自分の意思を「認めてもらう」場合も少なくないわけですが、すべての政治運動がそのような性質のものではありません。平塚はむしろ政府に対して徹底的に反旗を翻すことで政府側に「折れてもらった」例ですし、70年代の水俣などでの公害汚染に反対する住民運動では、住民の強行で真剣な批判と公害の惨禍に世論の非難が(政府や企業側に)集まり、結果的に公害防止の法律の整備などが進みました。水俣の住人は「権力者に媚びた」わけではなく、むしろとことんツッパることによって世論=主権者である国民を味方につけたのです。

ミームジーンは不可分だからです。
> 子供は自分の親が育てるのが一番だ。そうなると、
> A子供にある性質が現れたとき、それが、
> 1●親から生物的に受け継いだ遺伝
> (=違う親や環境で育てられても
>  同じ性質が発生する)なのか、あるいは
> 2●教育的に受け継いだ文化継承
> (違う環境で育てば発生せず、
>  違う子供でも同じ環境でそだてれば発生する)
> なのか見分けがつかなくなるということです。
いや、子供に現れた「ある性質」が何であるかで、大体1か2かの予想はつくんじゃないですか?例えば生みの親が両親ともに明るく社交的な性格で、育ての親が両親ともに暗い内向的な性格の持ち主だった場合、子供が明るい性格になれば1が、逆に暗い性格になれば2が、子供の性格に影響を与えていると言えませんか?
勿論、1度の実験だけでは「明るい性格の両親に潜んでいた暗い性格の遺伝子が発現した」とか、「暗い性格の両親に反発して明るくなった」などと、全く逆の予測を立てることも可能なわけで、1と2を確実に区別するには追試実験が不可欠ですが、100パターンぐらいの家庭で同様の実験を繰り返せば、1と2はある程度確実に区別が可能なのではないかと思います。最も、実験に絡む人権問題などを考えると実験の実行は現実には難しく、思考実験の域は出ませんが。
2007/02/24(土) 08:40:54 | URL | CrowClaw #mJxP.Gqk [ 編集]
ところで、
中国人差別のコメントについて訂正などがありませんでしたが、これからご訂正される予定なのですか?まだ削除をするつもりはないのですけれども。
2007/02/24(土) 08:41:54 | URL | CrowClaw #mJxP.Gqk [ 編集]

僕の反論

>例えば生みの親が両親ともに明るく社交的な性格で

これだって、両親の幼少のときの教育環境環境によって後天的に身に付けたものかもしれないですよ。そうなると判別しかねますね・・・
2007/02/24(土) 12:32:51 | URL | もんも #mQop/nM. [ 編集]

亀レスですが

>仮にとても有能な総合職の女性と、あまり有能でない総合職の男性がいたとして、どちらを雇った方が企業にとって得かといえば勿論女性の方なのですが、上記したような事情のためにあらかじめ女性の採用を(総合職において)無くし、わざわざ有能でない男性を雇って結果的に「トータルで生産力を大幅に減」らしてしまうような事態が起きることは、男性優位主義の社会の中では十分に起こりえることです。



そんなことはおこりえません。おこりえたとしても何の問題もありません。

もし、管理人さんの説がただしければ、企業が男性を優遇して生産性を大幅に減らしてしまったら、女性を起用して生産性をあげた企業に打ち負かされ、売上が減り会社は赤字になり倒産しますから市場から淘汰されているはずだからです。

そして、今ごろ、世の中は、(生産性アップに成功したはずの)キャリア女性をうけいれる企業だらけになっていなければなりません。事実は、このようなことが世の中におこっていないのですから、管理人さんのいっている説は間違っていることになります。



とにかく、そんなに”(生産現場における)男性優位社会”が非効率なら、いまごろ、とっくに”女性優遇社会”にとって代わられているはずです。現実は、衰えを見せるどころか現役バリバリで稼動しています。どんなシステムよりもうまくいってるからじゃないんですか?


あるいは、すでに、必要以上に男性を優遇し過ぎた非効率企業は淘汰されつくして、今の状態がもっとも女性の能力を最大限にひきだしたギリギリ上限で、もうこれ以上生産性をあげようが無い”パレート最適”の状態なのかもしれません。だったら、なにも問題がないじゃないですか。市場の原理によって、もっとも生産性が高い企業が残り、社会は生産性がもっとも高い状態に自然と移行するなら、そして女性をなるべく起用することが生産性の上昇に貢献するのならば、まさに今現在の状態が女性にとっても、企業にとってもベストな状態なのですから・・


だいたい、有能なキャリア女性よりも無能な男性のほうを雇用してしまったら生産性が低くなるのはあたりまえです。だいたい、生産性が低い人材のことを無能というのですから。管理人さんの説は、結論が前提の中に含まれているゆえに何人も否定できないが、無意味な主張をする”詭弁”におちっているわけです。(僕も、”優れた遺伝子”などtいうあやふやなことばっかりいってるので人のことはいえないんですが・・)

ちなみに本当かどうかは知りませんが、某掲示板で拾った話では、女性経営者は女性を雇いたがらないそうです。自分が女性だから、女性のずるいところを知りつくしているからかも知れません。女性の企業家を増やせ!とさんざん援護して、その結果生み出された現象が、”女性による女性の雇用の忌避”ならば、もう、女性問題にこれ以上の対策を打つことは全くの無駄としか言いようがありませんね。
(しかも、その女性企業家だって、散々優遇措置をやったのに全然増えていないんですから・・ああ!かえって増やさないほうが女性の雇用がふえますね!)