女性の存在論的な先行性」について

この本を読んでいてすごく興味深かったことのひとつは、ラカンが「女性的」であるとした「すべて‐ではない」という論理のことだ。「コギトと性的差異」と題された本書の第二章では、このことがカントの哲学との関連において論じられている。=りんく

コメント


# もんも 『
ポスト構造主義はあいかわらず意味がわかりません。結局、なにがいいたいの?って突っ込みたくなります。利口な人はさっさとスルーして、いまだに拘泥してるのは真偽がみきわけられない馬鹿な人だけでしょう。この学問が出来てからすでに数十年が経ちますが、いまのところ成し遂げた功績がまったく見当たりませんので、社会的にはまったく意味が無かったんでしょう。ですが、これによって教授どもがしばらく飯を食いつなぐことができたのだから、いちおう存在意義はあったのでしょうね。』 (2007/02/19 22:59)


# minmo 『

鏡像段階なんてのはなるほどと思いますが、他はねぇ・・・意味の無いことを意味ありげにいいくるめて、なにごとも難しく考えることをよしとする自惚れインテリを釣って講義料を稼いでるだけにしか思えませんが・・』 (2007/02/19 23:05)


# もんも 『
管理人さんも、こういう難解なテーマ解きほぐす俺って人間としてのステータス高いかしらん?なんて思っちゃうかもしれませんが、それって錯覚ですので今すぐにこっちに帰ってきなさい。あたたかく迎えてあげますから。』 (2007/02/19 23:07)


# もんも 『

構造主義としてはストロースの功績が突出してますな、なんたっていってることが明瞭でわかりやすい。他の人の言葉の言い回しはなんだかよくわかんないです。ボクが馬鹿だからわかんないんじゃなくて、ほんとに無意味なこといってるからだとおもいます。』 (2007/02/19 23:15)


# Arisan 『「人間としてのステータス」って、なんですか?』 (2007/02/19 23:20)


# もんも 『
人間としてのステータス=立場とかランクとか階級。

ステータスが高いというのは、立場が上とか、人間のランクが高いとか、そういう意味です。実際にそうだというわけではなく、そういう錯覚をおぼえるということです。

本当は育児や仕事などで生産を支える市井の凡人たちは結構すごいことをしてますけど、暖衣飽食に身をおいて、エートスだのコギトだのといった言葉をこねくり回していれば、彼ら凡人よりもはるかに少ない労力で、自分が彼らより立場が上にランクアップしたかのような気がしてしまうってことです。

そして、かれら凡人が自分になにか言ってきたら、”無学な奴が私になにかいってるようだが、私はインテリなので彼の間違いがわかるので相手にしないぞ””逆に、かれらに私の正しい教えをつたえる必要がある・・”と思ってしまうことでもあります。

そして、そういった”市井の無学な庶民”たちが反論してくるとき、たいてい文頭に、”ああ、インテリセンセイのおっしゃってることだから、あっしにはさっぱりわかんねえでやんすが、こういうことですかねぇ”なんて枕詞をつけてくるのが典型ですけど、

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これってアタマいいって誉めてんじゃなくて
バカにしてんですから勘違いしないでくださいね!

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本当は、”世間知らずなやつが、自分はあたまいいとおもってわけわかんないことを言い張ってるけど、俺はオトナだから、無理やりへこまさずに適当におだてておけばこの場はまるくおさまるわな”って考えてるんですからね。


浮世は、このくらいのウラは読み取れないといきていけません。なんたって、日ごろから難しい本ばっかりよんでて、アタマいいんですからこのくらいはわかるでしょ












(ほらほら、また本気にしないっ!)

誉めてんじゃなくて馬鹿にしてんですよ!』 (2007/02/19 23:45)