コメント欄について

http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20070219/p1



>しかし、現在書き込まれている多くのコメントの場合、その文面や書き込みの形式からは、コミュニケーションを拒んだり妨害する態度を感じます。

はあ?コミュニケーション拒んでいませんよ。反論したらいいじゃないですか。もしかしてボクが書いていることの意味がわかんない?だから、宇宙人の言葉と同じように、コミュニケーションを拒んでいるように感じられる?。だとしたらコミュニケーションを拒んでいるのはあなたのほうですよ?

あなたのような発言をしたら、たいていの人は、ボクが書いてあるようなことを忠告しますよ。それを、”所詮、マトリックスにつながれた下等なやつらの戯言さ、宇宙人の言葉とおなじでちんぷんかんぷんさ。。”なんておもっていたら、その、管理人さんの性根の曲がり具合が、外部とのコミュニケーションをさせなくしているんですよ。わかりますか?

ボクらだって、若いときは誰しも似たような思い上がりも気持ちを持ってたんですよ、恥ずかしいけど・・人工物は醜悪でこんなのばっかりとりまく世界にいきたくねえ!自給自足のほうがなんかいいことしてそう・・畑で作物作っったらラクでいいけど、専門職なんて仕事の内容が不自然で人間が本来やるべきもんじゃない・・でも、そうだからじゃなくて、そう思ったほうがラクだからそうおもいたいってだけなんですよ。熱さ寒さを耐えしのがせてもらって、人類に莫大な文明の恵みをもたらしてるのは、また、人々が熱烈にのぞんでるのは、百姓仕事ではなく歯科医のような高度な仕事であり、眺めのいい自然物ではなくダンプカーや工場や高速道路などの醜悪な人工物たちなのです。

人間、原始から進化してきたのはごく最近ですから、文明のたまものに接することには、まだまだ体がなれてませんし、自然の状態にあこがれるのは本能として心の隅にもってます。フォーク歌手だのルソーだの温泉旅館業者だのはプロだから、人間のこの心理をツツいて商売するのがうまいんですよ。社会主義とかヤマギシ農家とかカルトコミュニティーとかも、基本的にはこの線です。”人工物ってなんか違和感あるぅ”てナ心理をうまくくすいとる。ですが、人工物がなくちゃ、われわれはいきていけないんですよ。ですからコルホーズポルポト農場では、自然と人間が融合した理想の土地にもかかわらず、衛星条件も悪く食料も途絶え人がバタバタ餓死する。ハイキングや温泉なら週末にいくだけで、観光客は、日常は基本的に文明の中で活動をおこなっています。毎日朝から晩までハイキング地域や温泉地に居着くとしたら乞食になって警察につまみ出されるか野垂れ死にすることでしょう。そうするとかれにとっては温泉地やハイキングコースは、自然と融和できるはずなのに野たれ死んでしまうポルポト農場のようなものになるでしょう。

食料、燃料の供給、生産物をつくるのは生産組織で、俗に企業といいます。そしてそれを管理している集団を資本家とか経営者とか言います。生産物を分配、流通さす組織を俗に市場といいます。これらは絶対になくてはならないもので、無くなったとたん人類は生産物を己の手元まで引き寄せる手段をたたれ死滅します。社会主義をとってる場所であろうと風光明媚なハイキングコースであろうと、そこに文明人が住むと決めたならどこでも同じです。空中で水をとばすような、効率のよい水の運搬方法が存在しない限り、水道管を破壊してしまったら都市に水が供給されません。これとおなじことです。

水道管はときに故障したり管理する人が怠慢をおかしたりして、時に人々の眉をしかめさえることをしでかします。ですが、間違ってはならないのは、評判悪いからといって水道管を全て破壊したり水道管理官の制度を廃止してはいけないということです。そんなことをしたら水道に水が供給されなくなり人類は死滅してしまいます。ですが、水道管に関する不祥事はめだちますから、彼らを非難することは人気取りになります、選挙で言えば票はとれますし、テレビで言えば視聴率は上がり、本に書けばベストセラーになり、彼らの言うことを聞いて庶民は溜飲を下げ、ストレスを発散できることでしょう。

ですが、非難されやすいからといって本当に廃止すべきものではないのです。盲腸はどんな形してようがあまり批判されませんが、胃や肺や心臓はやれ動きが鈍いだの生まれつき弱くて困ってるだのやたらと批判されます。これと同じことです。政府や企業や資本家や市場は重要な器官ゆえに盲腸よりもバッシングがはなはだしいのです。だからといって、心臓が悪いから盲腸のように全部切除すべし!盲腸はだれからの批判もないから心臓を切り取ってその位置に収め心臓として機能さすべき!なんて基地外はいません。


あなたのやっていること、いっていることはこのようなものなのです。毎日動いてくれる心臓をけなし、胃を罵倒し、腎臓をこきおろし、そのくせ役立たずの盲腸をあがめたてまつり、あげくには彼が心臓になってくれたらどんなにいいことだろうと憧れる・・盲腸なんぞ心臓にしたらその瞬間に血流が全停止してあなたは死んでしまうでしょう。そうなったら、やっぱり心臓さんって偉かったなぁ、かえってきてくれごめん!といってもあとの祭りです。そうならないように周りの人は忠告してくれるんですがあなたは聞く耳をもちません。挙句には、連中は馬鹿だから俺みたいにまだ目覚めていないのだ・・かわいそうな奴らだな・と逆に見下す始末・・

もう一度いいます。コミュニケーションを拒んでいるのはあなたのほうです。』 (2007/02/19 17:46)

# もんも 『

とにかくシソウ家なんてもんはラクなもんで、紙と脳の上で架空の駒を転がすだけですから、たいした労力はいりませんし、神のような全能感を持ちやすいんですよ。失礼ですがドラッグ中毒者によくたとえられるのもむべなるかななんです。だから、おのれは凄いんだと勘違いしやすい。ですが脳内シミュレートなんて、バリバリ社会でがんばってる実践家でもしょっちゅうやっています。違うのは、現実に応用してダメだったらさっさと捨て去り(っていうか世間の酷評により強制的に捨て去られ)、合致してたら(世間が認めて)採用するということです。そのプロセスをおこなわない限りは夢想家やシソウ家さんの脳内妄想となんらかわりがありません。

問題なのは、実証はできるんだが、それを実証するには、全人口が同時にそうしなければなりたたないとか、ショウジョウバエでなく人間にためさないと意味が無いので、今からはじめると何千年先にならないと正しいかどうか判明しないとか、立証がしづらいグレーゾーンの学問があるということです。だからといって簡単に実証可能な学問に比べてインチキ度が高いとはいいきれないのが難しいところです。

こういうジャンルって、芸術や文学みたいにごまかしがきくけど、科学みたいに権威もある。。という両者いいとこどりなわけで、馬鹿がばれてぼろが出るのはいやだけど権威だけは欲しい・・てなかんじの、”ドキュンの肉体労働に埋没する決心がつくほどにはアタマが悪くないが、企業でバリバリ仕事するにはアタマがたりない”という、中途半端な馬鹿がすいよせられがちなんですよ。昔のボクも全共闘時代の大多数の若者も管理人の人もこのラインにふくまれます。っていうか、ちゃんと仕事できる実務家より、こういう人のほうが世の中はるかにおおいと思います。だからといってここに埋没してしまったら自分もまわりの人たちも前に進めませんので、実務家と競合して排除されるのをいとわず、玉砕覚悟でマトリックスチューブと引きちぎって外界にトライするべきだとおもいますす。そこで失敗しても、マトリックスの世界のなかで成功するよりは最低一歩は前進してるでしょうから、あとはそれをくりかえすだけです。リスクをとりたくなかったらとらなくてもよろしい。別に、のろのろだが地道に進める道を進んでいいわけです。どうです、やってみてはいかがですか?


自分はやくにたってもいないし、自分が役立つだろうと思ってやってきたことは誰の役にもたってはいない。そもそも自分はシステムをどういじれば役立つようなシステムに改良できるのかという、詳しくモノを分析できる専門的な能力を持っていない。つまりなにが役にたつのかが自分ではわからない人間なのだ。だから、そんな俺が人の役にはたてないのは当然だ。システムをどういじればよくなるか?それを理解する専門知識を習得しなければ役立つ人にはなれない。なれなければ人の役にたれる人間になるなんて望みはあきらめて、謙虚になって人のおこぼれにあずかる福祉の住人になるがよろし・・・高度な知識のマスターは、幻想世界で薀蓄たれるよりは苦しいだろうが、やらなけらば現実世界は一ミリたりとも改良されないのだ、自分の自治会でさえ、自分の家庭さえ、自分の半径10センチの地域でさえ、ていうか自分さえ・・・・脳内の幻想世界を改良したところで、現実を放置すれば、現実はますます悪化するばかりだ・・自分だってそこに住んでるんだぞと。』 (2007/02/19 18:25)

# riruhi 『削除自体は管理者の権限として可能なことなので、自由にすればいいんじゃないですかね。
Blogだからって、コメントに必ず答えなきゃいけないなんてルールは無いんですし。
 まあ、少なくとも自分が反論や議論したコメントに関しては、削除しない方が良いでしょうけど。
自分に都合が悪くなったから消しちゃったと思われがちですから(消してしまえば、そこになにが書いてあったかは、あとから訪れる人にはわからないですからね)。
それにかこつけてうれしそうに勝利宣言する人もいるし。

本当は、2ch同様、スルーが一番良いのですけどね。
たしかに、誹謗中傷や過激な反対意見が目に入るのしんどいでしょうし、他のコメントを書いてくれる人の文章を読みにくくなるでしょうが、目に余るものは当然訪れる他の人にとっても目に余るわけで、どちらに利があるかはおのずとわかるものだと思いますよ。』 (2007/02/19 18:28)

# 阿臆斎 『かの人物の書き込みはなかなかの『力作』なので、これが2ちゃんねるの「ニュース速報+」のような百戦錬磨の論客の居並ぶような場所に書き込まれればさぞ”面白い”議論になるだろうと思います。

しかし過去の書き込みを見ると、この人はもともと2ちゃんねるの、彼と同じような思想を持つ者どうしで馴れ合う過疎板にいたようです。彼はそこさえ耐えられずにここに流れてきたのですから、いまさら「ニュース速報+」のような厳しい競争のある場所に行こうとは思わないでしょうね。』 (2007/02/19 19:48)

# Arisan 『riruhiさん。

まあ、おっしゃる通りなんですけど、これだけ投稿の量が多いとスルーするのも難しいのでね。
これが抜本的な解決策だとは思いません。
あと、「勝利宣言」とかは、勝手にしてもらってかまいません(笑)。

阿臆斎さん。

まあ、たしかに「力作」ではありますね。その力を他のことに使えばいいと思うけど。
ここに来てもらっても、この方が期待してるような議論はあまりできないんですけどね。
そのへんのところを、この方にもなんとか分かっていただきたいものです。』 (2007/02/19 21:09)

# Arisan 『>もう一度いいます。コミュニケーションを拒んでいるのはあなたのほうです。


ぼくは、あなたと「議論」をしたいとは思わないけど、コミュニケーションは拒んでませんよ。
ぼくが、あなたとのコミュニケーションを拒もうと思うなら、コメント欄の設定を変えるなり、閉じるなりしているでしょう。
そうはしていないから、あなたはこうやって書き込みができるのだし、ぼくはそれを読んでいます。
それで十分ではないですか?

コミュニケーションという言葉の意味をよく考えてくださいね。
自分の言いたいことだけを特定の相手に一方的にぶつけることを、コミュニケーションを求める姿勢とは言いません。むしろ、逆の態度であり、メッセージになります。
この上の投稿でも、あなたが書いている内容の趣旨は、ごく短い分量ですむようなことで、それ以外の部分はぼくへの「伝達」とは関係のないものだと思います。そういうことは、ご自分の日記かブログにでも書いてください。
あなたが(たぶん)書いた文章のうち、特定のものについてだけ、どうしてぼくがエントリーで取り上げる気持ちになったのか、そこをよく考えてもらえればと思います。』 (2007/02/19 22:58)

# CrowClaw 『> もんもさん
「コミュニケーションを拒んではいない」とのことですが、でしたら2月15日のエントリーのコメント欄(http: //d.hatena.ne.jp/Arisan/20070215/p1#c)で貴方が僕のした質問の全てに未だ答えておらず、しかも僕の質問に答える前に他のエントリーのコメント欄で延々と長文を書いていたのはどういうことですか?こちらからコミュニケーションを行おうとしたのですから、それを「拒まない」と言うのならばまず真っ先に質問に答えるのが筋でしょう。他のエントリーのコメント欄では相変わらずエントリーの本筋に関係の無い話も一緒に書き込まれていたようですが、それはArisanさんに対するコミュニケーションになっていると言えるのでしょうか。
僕は貴方からの質問の回答が出揃った場合、再度当該コメント欄に書き込もうと思っていましたが、貴方が他のコメント欄で僕の話を無視して延々と持論を展開しているのを見て、正直なところ回答にレスポンスをする気力が失せつつあります。これ以上Arisanさんにご迷惑をおかけするのも厭なので、もし続けて質問に回答していただける場合、もしくは僕に直接何かご意見のおありの場合、下記する僕のメールアドレスに直接送ってはいただけないでしょうか。
crowclawgrow@yahoo.co.jp
そうしていただければ、今まで書き込んでくださった質問の回答にも、まとめてお答えできると思います。お手数ですが、出来ればそうしていただきたいと思っています。』 (2007/02/20 04:00)

# もんも 『
メールには返事しません。そもそもcrowさんの質問に答えていないのはひとつ(極左連中と管理人さんの思想を混同するのはいかがなものか?)の一問だけで、あとは全部答えています。また、それらが他の投稿よりも優先して行わないからといって、どうしてボクが不誠実だという理由になるのですか?。そもそもここはボクのブログでないのと同様に、あなたのブログでもないのです。arisanさんに多少のことは言われるのはしょうがありませんが、あなたにコメントの作法やレスを真っ先にする義務を押し付けられたりするいわれはありません。』 (2007/02/20 04:59)

# もんも 『

自然礼賛、人口批判の心理は、自然相手の仕事がいかにも気持ちよさげで、医師や機械労働などの人工物相手の精密仕事はいかにもしんどそうだから、自然に価値をおいたシソウにおもわずとびついてしまうという、無知な者、特に若者に特有な心理があると思います。

たとえば百姓仕事は大自然の中で働けて、スキルがいらなくて、すぐにでもできそうなので、これが金になってラクに生活できたら勉強しなくていいよな・・とか、どうして医者が高い金貰ってんだよ。なるまでがきつくてしょうがねえな、割にあわねえからやるきになんねえ。こいつらが百姓と同じ金しかもらってなければ絶対将来は百姓やるべ!。。とか・・勉強したくないしあそびたいから、こういうよこしまなことを考えるのですよ。若いときって。

ですが、年がいって、バイト雑誌とにらめっこする回数がおおくなると、人工物や都市がもたらす恩恵とか、自然と戯れるだけじゃ食っていけないことを知り、仕事のキツさと賃金の比例関係(=皆、自分と同じこと考えてるから、自分の嫌なものは人も嫌だ、その逆も同じ、だから、そんなにおいしい仕事があるわけがない)ということも気が付きますので、いずれルソーやエロジカルな考えを捨てさります。だから、いい年こいてるのにいつまでもこんな考えをしてるひとがいたら、よほど成長してない、ピーターパンのようなオトナということになります。


論理的ながんがえもできてくる。たとえば牛の育成や白菜が金にならないのは、スキルのハードルが低く誰でもできてしまうから(土地や牛小屋さえあればノンスキルで、元芸能人、失業者、乞食、言葉のわからぬ難民でさえ可能)、人材の貴重さが無く容易に生産が過剰になるからだということに気が付く、だから、安く働かされてかわいそうだからといって、安易に農民や貧民に同情はしない。

現に経済学では、”今年は牛の価格が高めなので=種付け多めにして=来年うまれた子牛はおおく生まれて=価格がさがってしまって=種付けが減って=また来年はすくなく価格が高く・・”という二年スパンの繰り返しのことをキャトルサイクルというらしいですが、そもそも子牛がたった一年で暴落するまでに大量生産ができるなんて、子牛の製造って、なんと安直で、貴重さのかけらも無いスキルなんでしょう。

逆に、医師の給料が高くなったからといって、来年、医師が大量にふえてしまって診療費が暴落したなんてきいたことありませんから、医療ってのはそれだけ貴重で難しく、増えにくい職種なのでしょう。(医師はあくまでたとえです、医師みたいに難しい専門職、製造が困難なハイテク製品ということです)

バス、タクシー運転手など、賃金の暴落を危惧する番組がよくテレビで流れますが、暴落してしまうような、難しくない技術だからこそ安易に人が習得してしまって過剰になるわけで、そもそも”他人がすぐできてしまうような簡単なスキルの業界に就くのを避け、なるたけ参入の難しい、なるのが難しい仕事に就くようにする”ということしか解決策は無いはずです。なるまでが大変になってしまい、高給のメリットを食いつぶしてしまう可能性がありますので、そこらへんは自分の能力とにらめっこしてきめるしかないでしょう。


だいたい人材過剰になって運賃が下落すれば運転手一人あたりの平均の稼ぎは減りますが、家のローンと妻とコドモを放り出して負担を軽くことは不可能ですから必要な消費はかわらない、となると下落分は営業時間の延長でカバーするしかない、となるとますます過剰になる・・ということで絶対にスパイラルになります。参入を抑制するしかないが、二種免許は人気で、実際結構ラクに取れてしまうのでへらすことができない。賃金の下落しやすさを嫌うなら、ひよこ鑑定士とかコンピューター技術者のような、ひとがなかなかなれず賃金が簡単には下落しない職業に転業するしか方法が無いが、そもそも運転手だって白菜農家だって、こうなることがわかってこの業界に入ったのだろうと・・まさか自分の職業が、医師とおなじような下方硬直性があるとはおもっていなかっただろうに・・だから、自業自得ではないのか・・と。

左翼の人でこういうことを考える人って全然いないのは気のせいでしょうか?市場のテコの力、。そしてそれは、別に秘密にされているものではなく、人が教育をうけたり考えたり書籍をよんだりしたら理解できることなのに・・・。これらを全く無視して、すぐ賃金下げるな!上はサクシュを止めよとか、そういうことしか言わない。先にポーターパンの話でふれましたが、ルソー思想や途上国救済ボランティアとかエコロジー布教ビジネスに絡めとられやすいのは、市場原理とかいった、”ここをこういじったらこういうふうに動く”というモデリングが下手な人、じぶんなりの函数を組み立てられない人、もののメカニズムを分析できない人たちです。私が思うに、発言を見る限り、サヨクの人も彼らの仲間だとしかおもえません。』 (2007/02/20 05:55)

# もんも 『

シソウがなぜ間違いがちなのかというと、シソウを考える人と、世間の人たちの性質が、乖離しているということがあるでしょう。マルクスだって実業家の立役者よりは怠け者でひきこもりがちかもしれませんが、あの難解な数式を考えるのをいとわないくらいですから、絶対に、そこいらの凡人よりは怠惰ではないでしょう。ですが、社会主義の対象は、その無能で大多数の凡人たちです。

ぶっちゃけ、研究者や思想家は、弱者や恵まれない人たちを救済する道具を生み出すのが仕事なのにもかかわらず、研究者自身が、彼らの気持ちが痛いほどわかるような弱者だったりしたら、到底そんな発明に成功なんかできないというのがパラドックスになるわけです。発明する当の本人が、発明で助かる人の気持ちがわからない、発明の恩恵をまったく受けない。ということです。


エジソンは省力化で雑務が楽になって狂喜するような横着者ではありませんし、ダイムラーは自分の足で重い物を運ぶのをしんどいと思うような根性なしでないはずです。そんな人は車や電球を開発なんて絶対にできません。野口英世は徹夜続きで研究ができるくらい体はタフで、病原菌にかかってあっさりと死ぬほど体はよわくありません。彼が弱者だったらあんな業績のこせません。すくなくとも野口自身の肉体は、アフリカの無力な貧民や乳幼児ほどにはワクチンを欲求はしていないでしょう(梅毒菌は別ね!)。前述したように、マルクスも同じです。


これでは、野口やエジソンは自分ひとりの救済に満足して弱者をほったらかしにして野垂れ死にさせてしまいますので、社会で、利他心を上からの教育でうえつけたりといった人為的な強制をしたり、人間として生物学的に、困った人を見たら助けてあげたくなったり、赤ちゃんや女の人などの無力な人にたいして、彼らの泣き声やかわいいしぐさにほれたりといった、自然と相互扶助を喚起させる本能を備え付けていたりします。


というわけで、シソウの担当者は、シソウを完成させることができるくらいに己が優れているなら、そもそもシソウを完成する意義をうしなってしまう、逆に、シソウを欲求しているような無能者やはみ出し者だったら、そもそも正しいシソウを完成させることができない・・・・という、まことにアンビバレンツな状態がでてくるわけです。マルクスやルソーが、世の中を正しく分析できて、正しい理論をつくることができるようなものすごい利巧な奴ならば、そのありあまる才能を活かして、世間で大手をふって歩けるでしょうから、何も、薄給の教授職にしがみついたり、図書館に何十年も閉じこもってシソウに逃げる必要がなくなってしまうのです。

エジソンは発明品なんて欲しくないし、野口英世も梅毒以外は欲しくなかった、だからこそ偉大な発明をおこなえた。それらを欲しがるのは凡人や弱者だ。彼らは凡人ではない。ルソーはふがいない己(教育者としては無能者)を正当化するシソウを熱烈に必要としていた。マルクスも浪費癖の自分(経済的には無能者)をなんとか正当化するシソウを欲しがっていた。そんな凡人だからこそ、シソウを必要としていたのであり、間違ったシソウしか構築できなかったのだ。



バングラで、貧民救済のシステムを開発した人が政界進出したが、彼は貧民ではないし父母も貧民ではないのだろう。だが、貧民たちが自分で貧民救済システムなんか発明できやしない。できたら貧民なんかやってない。それと同じことだ。ルソーもマルクスも貧民なのだ。


せめて、こういうことをかんがえてからモノを言おう。』 (2007/02/20 17:11)

# もんも 『(補足)
親が貧民に嫁ぐことを反対しないような女の子宮から頭のいいコドモが生まれてくるわけがないし、自分で教育するすべを知らぬ、あるいは教育を専門家に委託さすだけの稼ぎも捻出できぬ家庭から豊かな教育をうけた者が出現できるはずもない。これは、サベツでもヘンケンでもなく、生物学的、社会学的に正確な事実を言ったまである。』 (2007/02/20 17:17)

# riruhi 『長文は、自分のBlogもってそこに書いてトラバックすれば?
読みにくいですよ。』 (2007/02/20 17:46)

# 田仁 『最近、鹿鳴館キリスト教徒と勝手に私が綽名してる曽根綾子氏が、アフリカの飢餓並みの「貧困」が日本には存在していないのだから、日本に「貧困」はあり得ない、貧乏人はパンが無ければブリオッシュを食べればいいのよ、と日本会議的なご高説を本にお書きになられました。ツイ、映画「大逆転」を思い出し、脳内妄想でカルタシスしてしまいました。柳沢・奥村発言を併せて考えるとね...。』 (2007/02/20 21:06)

# もんも 『>凡人が、日常の些細なことをさしおいて天下国家の考察にエネルギーを余計に傾注したからといって、自分が人並みの人よりも相対的に価値ある人間になったわけでもありません。

たとえば、ボクはエンジンの仕組みについてまったく無知なので、自分なりに考えた、”オートマ車の燃費はこうしたらよくなるのではないか?”という改革案を自動車メーカーに提出したところで取り上げてはくれないでしょう。ボクも、そうなることがわかっているので提出しませんし考えもしません。もし自分がエンジンを改革したい気持ちがあるなら、工学大出るなり修理屋につとめるなりして、エンジンの仕組みを習得しようとがんばります。

飲み屋などで、エンジンの仕組みがわかっていそうなひとから、エンジンの燃費の改革案をまくしたてられたところで、”違うぞ!””その説はトンでもだ!”などと、烈火のごとくおこりませんし、反対もしません。自分にはその資格がないと判っているからです。

しかし、人間がこんな人ばかりだったらトクダイジアリツネのような人間が餓死してしまいます。』 (2007/02/21 20:04)

# 田仁 『「馬鹿は黙っとれ!」と言えばね、自民党が米軍再編に貢ぐ為に、生活保護世帯急増も何の曽野(故意に変換ミス)、国際協力銀行JBIC)から米海兵隊グアム移転費用の日本側負担の半分以上(32億円)を出させ、野球の振り逃げじゃないけど、直後にJBICを日本政策金融公庫という巨大な政府系金融機関に統合、金融部門は日本政策金融公庫に付け替えて,結局は国際協力機構(JICA)が移転費用を肩代わりですってさ。全部税金に違いないのに、何してやがんだと思うのは素人で、一々動く度に利権があるのは「日本の黒い霧」時代の供出貴金属と変わりません。サーベランスの件で国粋会会長が拳銃に優しく手を添えた「拳銃自殺」したりして、結構自民党もナーバスなんですって。今度こそ!って安晋会野口氏の「割腹自殺」と言い、基地利権が動いてる訳やね。だから黙らせたいって。』 (2007/02/21 21:44)

# もんも 『
なに言ってるのかさっぱりわかりません。どうやら新韓の壷売り宗教や新米ポチウヨのモーターボート無尽講が目の敵のようですが、世間で大多数を占める”穏健な思考の集合体”にたいして、何が糸を引いてるのか?と問われても?マークが出てしまいます。おそらく、だれも糸引いてないと思いますよ。だって自然なことですもん。


男が女を愛するように仕組んだのは多産を奨励して強兵化をもくろむ支配階級のしわざだ!人類が飯を食うのは食品会社の陰謀だ!そんな理屈は通りません。別に誰かがそうするようにしかけなくても、人類はほっておいても異性を愛し息を吸い飯を食べるでしょう。どうしてそうするんだ!と聞かれてこたえようがありませんし、そうすることでウラで誰が得するのだ?といってもこたえようがありません。そもそもわれわれがこうするからこそ、そういった需要にこたえる基幹産業が発達し、”得する”人がふえたというのが真相でしょう。

食品や国防に数千万人が従事していながら、男芸者が都内に数人しかいなくて絶滅状態なのは、男芸者の需要を圧迫して肥大化した産業を食わしていく陰謀ではなく、前者にくらべて後者の社会的貢献がゼロに近いからでです。

ほおっておいても人間というものは、生産物を市場に出しますし、己の立地を国や私有地で他と差別化し互いに相互不干渉のとりきめしますし、生活インフラの保守や行政や安全保障を支配者に委託します。誰も仕組んでいません。

これらが破壊されれば困る奴らがいるから、体制は維持に躍起になってるんだ!

あたりまえです!破壊されたら消費者が困るからこそ、それらの生産やメンテナンスの需要が増し、携わる業者が参入し業界が肥大化し、破壊されれば生活のカテを失う生産者も結果としておおくなるのです。順番が逆です。破壊されて喜ぶ人よりこまる人が多いのは、生活に即した重要なものなのですからあたりまえです。』 (2007/02/21 22:12)