”数学屋さん、ふたたび”に突っ込み

りんく

こめんと

# Apeman 『khideakiさん

>必然性というのは論理的必然性のことです。

あらあら、せっかくのigelさんの援護射撃もスルーですか。


>僕は、戦闘行為遂行時の虐殺は客観的に判断できないということで抜いています。


すでに青狐さんが指摘されていますが、この前提が間違っています。ではうかがいますが、にもかかわらず東京大空襲や原爆投下による犠牲者が「虐殺」されたとあなたが考える根拠は一体なになんですか?


>この7000人ほどが、どのように虐殺されたか、具体的に可能な方法がなければ、論理的必然性はないのではないでしょうか。


失礼を承知でうかがいますが、あなたは本当に「数理論理学を勉強して」来られたのですか? 「具体的に可能な方法」があるかどうかと「論理的必然性」はまったく別のはなしです。そして「具体的に可能な方法」があるかどうかと言えば、答えは「ある」です。あなた、『南京戦史資料集』に収録された旧軍の戦闘詳報をご覧になったことがありますか? 旧陸軍の将校の親睦団体が編纂した戦史の資料集ですが。日露戦争以降の戦争テクノロジーの発展の歴史をお調べになってはどうですか。


>殺された人間の数はわかるけれど、それはどんな方法で殺されたかは分からないといったら、どうしてそれが虐殺だと判断できるでしょう。


はなしがまったく逆です。これも否定論者に共通する倒錯ですね。「殺すのは悪い」という主張に根拠はいらないのです。「殺してもよかったのだ」と主張する側こそがその根拠を示す必要がある。旧軍関係者が編纂した『南京戦史』ですらこの大原則は一応ふまえています。だからこそ幕府山砲台での捕虜たちが反乱を起こしたとかなんとか、根拠に乏しい主張を行なっているわけです。


>と語っている内容は、本当に虐殺の動機になるほどの思想的背景でしょうか?


>果たしてそのような恐怖心が生まれたことに「蓋然性」があるかどうか僕は疑問に思います。


これは一片の「論理的必然性」もない、単なる主観的憶測ですね。


ところで、あなたは私を含む数人が問うた極めて具体的な質問をことごとくスルーしておられます。いずれも、あなたの議論が机上の空論であることと密接に関連する問いなのですが。これまでのやりとりを読み直してご自分がスルーした質問にきちんと答えてください。』 (2007/03/20 01:22)



# bluefox014 『>この7000人ほどが、どのように虐殺されたか、具体的に可能な方法がなければ、論理的必然性はないのではないでしょうか。


1937年の日本軍の装備、中支那方面軍の規模から考えて、まったく可能な数字だと思いますが。


事実、山田支隊だけで戦闘終了後の2日間に15000人(数については諸説あり、渡辺寛によれば2万数千人)捕虜殺害しています。歩兵連隊の数から判断するに、中支那方面軍全体は山田支隊の17倍の規模でしたから、単純に考えれば2日間で34万人以上殺害するだけの装備と人員と「具体的方法」を有していたと考えるべきですね。
基本史料も読まずに「ありえない」という脳内イメージだけを根拠にする姿勢が、私には理解できません。』 (2007/03/20 04:21)


# natasikaku123 『
>10万規模の軍隊が数千万発(1師団の保有数を基に推定)の銃弾を持って「最終決戦」に臨んだ、そして「理想的な包囲殲滅戦(佐々木少将の日記)」を展開した、この数的規模・戦術で民間人・捕虜等30万虐殺の蓋然性は存在すると思いますが?/この数的規模と包囲戦術、そして殲滅方針、捕虜に与える食糧はない、凶暴化していた兵士の入城を考慮すれば・・・・


簡単に言えば、あなたの言ってることはこういうことですか?


10万規模の米軍が数億発(1師団の保有数を基に推定)の銃弾、ナパーム弾、劣化ウラン砲弾を持って「最終決戦」に臨んだ、そして「理想的な包囲殲滅戦(シュワルツコフ大将の日記)」を展開した、この数的規模・戦術でイラク民間人・捕虜等300万虐殺の蓋然性は存在すると思いますので、もしイラクが、”米軍の持つ装備ならば三日で300万人を軽く殺すことが可能だ。だから我々の国民が300万人米軍に殺されたのだ!”と荒唐無稽な主張をしたら、私(bluefox014)は彼らの言うことを何の疑いもなく信じます。いやいやわたしだけでなく、この世界の人全員が、イラク人がこういう風に言ってきたら、彼らのいうことを認めなければばなりません。”蓋然性がないから彼らの言うことは疑わしい。・。などと文句つけてくる歴史修正主義者なんてつばをはきかけましょう!”』 (2007/03/20 04:55)



# natasikaku123 『
ある手段で人を殺すことが論理的に可能ならば、相手が”娘はその手法で殺されたんだ!”と主張したとしたら、その娘はその手法で殺されたは間違いないのですね?そして、人々は、”かれの娘がその方法で殺されてはいなかったのではないか?”・・というふうには、疑っちゃいけないんですね?』 (2007/03/20 05:00)


# natasikaku123 『
わたし(natamaru)は bluefoxさんに娘を殺されました。証拠は?私の娘は子供で、bluefoxさんの腕力は通常の人間程度の力があるからです。通常の人間の腕力を持ってして頚椎を締めたら子供は簡単に死にます。だから私の娘を殺したのはbluefoxさんです。いますぐ警察署言って自首してきなさい。」


もし、私がこのような言い草したとしたら、あなたは素直に”私がやりました”と警察に自首しにいきますか?』 (2007/03/20 05:06)


# natasikaku123 『
ものごとがありえたら、そのものごとはあったことになるんですか?
ありえるからあったんですか?ならないでしょ?


ものごとがありえるのと、そのものごとがじっさいにあるってことはちがうよね?


わかりましたか?』 (2007/03/20 05:11)


# natasikaku123 『
ウィキペディアの記述をかりれば「(30万人説が)真である可能性がある」は
「必然的に偽であるわけではない」と同等になります。これは私の感覚に一致します。』


あなたの感覚なんて狂ってるので当てになりません。第一単純な倫理学の公式を感覚なんぞで反論されちゃ数学やさんだって困るでしょう。”真である”と違って、真である”可能性がある”ってのは、100パーセント、ただ一つの例外もなく真だとはいいきれていないので、真でない可能性もあるってことでしょ?


あなた高校行った事ありますか?集合論なんて、高校生になったら一年で学ぶ数学の初歩の初歩ですよ?』 (2007/03/20 05:20)


# khideaki 『「「殺すのは悪い」という主張に根拠はいらないのです」

ということは道徳的な言明に過ぎません。何ら論理的ではありません。論理というのは、仮言命題の前件から後件への推論を語るものです。根拠がいらないというのは、前件がいらないということで、そこには何ら論理がありません。


東京大空襲や広島・長崎の原爆の被害者が虐殺であるという判断は、警告なしに一般民衆が密集している地域に、甚大な被害が出るであろう攻撃をしたということを根拠に主張できることなのです。殺されたから虐殺なのではありません。


戦争で殺されるのは、論理的に考えれば当たり前のことなのです。しかし、その当たり前のことであっても、社会的な意識の進歩などから、許されない事柄が認識されてきて、そこに不当性の意識が生まれるのです。殺されたものがすべて、区別なしに不当に殺されたことになるのではありません。そんなことを言ったら、正当防衛によって相手を殺した場合の正当性を主張できなくなります。


30万人という数字の主張がなければ、どのような殺され方をしたのかという質の問題で虐殺という根拠を主張できます。しかし、30万人という数字を挙げるなら、その数字が妥当性をもつような計算方法を提出しない限り、その数字の論理的根拠つまり必然性はないだろうということです。


生きているか死んでいるかを数えるのは、その判断で異論が出ることは今のところありません。だから、死んだ人間が何人かは、誤差があったとしても客観的な数字として出すことが出来ます。問題は、「虐殺」という判断が、そのような客観的な判断として出せないことです。


「虐殺」というのは、自らの主観の中にある「虐殺」の定義に従って、死んだ人間の死に方にその主観を投影して判断するものです。その判断に党派性が出ないはずはありません。だからこそ、死に方と、その具体的な方法からくる数字の蓋然性が問題になるのです。


「殺すのは悪い」というような単純な判断では、死者はすべて「虐殺」された人間だと判断しているのと同じです。そのような判断で提出された30万人説にどうして客観的な「蓋然性」がありますか?』 (2007/03/20 07:57)


# bluefox014 『>khideaki さん

ですから、あなたの主張は当時の戦時国際法を無視したものです。当時の戦時国際法では、戦闘中に民間人を殺すことは違法行為です。戦時国際法に違反した民間人殺害を「虐殺」と認定する、ということが「主観の投影」にすぎず「党派的な判断」にすぎない、というとお考えなのですか?』 (2007/03/20 09:19)


# buyobuyo 『natasikaku123さん、倫理学の話など誰もしていないと思いますが。「Aが真である可能性がある」と「Aが必然的に偽であるわけではない」が同等なのは、様相論理の基本的な公式です。あなたは相当ばかげたことを言っています。様相論理の話をしているのに、高校程度の低レベルな論理もどきの知識でからんでこないように。』 (2007/03/20 09:41)



natasikaku123さん
まじめに相手をしてもらいたいなら、まじめに考えてコメントしてください。現時点ではあなたのコメントに対して「アホか?」としか書くことができません。』 (2007/03/20 10:38)


# Apeman 『khideakiさん
書けば書くほどぼろが出てきますね。

>東京大空襲や広島・長崎の原爆の被害者が虐殺であるという判断は、警告なしに一般民衆が密集している地域に、甚大な被害が出るであろう攻撃をしたということを根拠に主張できることなのです。

第一に、米軍は空襲をビラによって「警告」しています。第二に、このような理由で「虐殺である」と判断されるのなら、次のようなケースも「虐殺」と言えることになりますね。


>前日、南京城を撤退した何万人にのぼる中国軍と難民が、八キロほど先の揚子江流域の下関という港から、五十人乗りほどの渡し船にひしめきあい、向う岸へ逃げようとしていた。
>  南京城攻略戦の真っ只中で、海軍は、大砲、機関銃を搭載して揚子江をさかのぼり、撤退する軍、難民の船を待ち伏せ、彼らの渡し船が、対岸に着く前に、砲門、銃口を全開し、いっせいに、射撃を開始した。轟音とともに、砲弾と銃弾を、雨あられと撃ちまくった。直撃弾をうけ、船もろともこっぱ微塵に破壊され、ことごとく撃沈された、と。
(『揚子江が哭いている』より、第6師団の兵士の証言)


「警告」があったのならはなしは別ですが。


>のみならず南京攻略戦では南京城西側・長江河岸間は敵の退路に当たり、敗兵と難民がごっちゃになって第六師団の眼前を壊走した。師団の歩砲兵は任務上当然追撃の銃砲弾を浴びせ、このため一帯の沼沢は死屍で埋められたという。
> これは明らかに正規の戦闘行為によるものである。にもかかわらず中国側は虐殺として取り扱っている。
(『熊本師団戦史』 熊本師団とは第6師団のこと)


これまた「警告」があったのなら別のはなしですが。


あなた、無茶苦茶なダブルスタンダードを使い分けているという自覚がないのですか? あなたにとっては「焼夷弾を投下した」が「具体的に可能な方法」なんですよね? だったら「機関銃で一斉射撃した」でも「具体的に可能な方法」じゃないですか。


東京大空襲だって、個々の死に目を向ければ「死に方と、その具体的な方法」なんてわからないことが多いですよ。避難の途中で人ごみの中で圧死した人がいるかもしれない。そうしたケースを除外して10万人という数字が主張されていますか?


要するにあなたは、東京大空襲や広島・長崎の原爆による死者が「虐殺」されたということにはなんら疑問をもたず、他方南京での死者についてはなんら具体的な知識抜きで「わからないから虐殺じゃない」と言い張っているわけです。「党派的」にも程がありますね。


後はすでにbluefox014さんが指摘された通りなので省略します。』 (2007/03/20 10:57)


# Phls 『>khideakiさんへ
東京大空襲や広島・長崎の原爆の被害者が虐殺であるという判断は、警告なしに一般民衆が密集している地域に、甚大な被害が出るであろう攻撃をしたということを根拠に主張できることなのです。殺されたから虐殺なのではありません。

(後略)