その5 ぼやきくっくり

※プロローグ 「証拠写真」の源流をたどる (P.15〜16)より引用

 たとえば上の写真AとBであるが、カメラマンは首を斬ろうとしている被写体や斬り終わったあとの場面に真正面から向き合っている。しかも至近距離から撮影している。これほどの写真を撮るには事前の許可が絶対に必要とされたであろう。いったい誰が許可したというのであろうか。もし許可が出たのであれば、カメラマンは中国人や欧米人ではなかったはずだ。そうすると、日本人以外にはない。しかし、この写真は南京陥落から早くも半年後の昭和13年7月に出版された国民政府軍事委員会政治部編『日寇(にっこう)暴行実録』〈現在はスタンフォード大学フーバー研究所が所蔵〉や田伯烈(テインバーリ)編『外人目撃中の日軍暴行』に出ている。まさか、日本人が敵国の本に写真を提供するために、日本軍の許可を得て撮影できたはずもなかったであろう。

 また、ここに写っている四人の日本兵の名前は当時はすぐにわかったであろう。「百人斬り」という戦意高揚を目的とした創作記事が原因で、野田毅向井敏明両少尉〈ともに当時の階級〉が南京裁判にかけられ、昭和23(1948)年に銃殺刑に処せられたように、その四人も戦後すぐに問題になったはずだ。ところが、四人が追及された形跡はない。また南京戦(昭和12年12月)の冬に薄着であることは、南京の写真としてそぐわないのではないか。
南京事件証拠写真」を検証する>東中野修道ほか著)
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid194.html


よく見てみると、ここでもapeman氏がしゃしゃり出てきて完膚なきまでに叩きのめされています。だったら最初から書かなければいいのに・・