natamaru123氏への返答に関して

natamaru1232007-04-08


『働くことと生きること』と題した、先日の拙エントリーに、予想通りといおうか、このブログの読者にはおなじみのid:natamaru123氏から批判のコメントが多数寄せられた。=りんく


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natamaru123 『



>別の言い方をするなら、かりにその社会に「収奪」がまったくなかったとしても、そこで飢えや貧しさや絶望や過労のために死んでいく人がいて、それが放置されているのなら、その社会の仕組みは間違っている、ということです。


その考え方は絶望的に間違っていますし、その考えかたをしていれば、その考えを政府がすれば世の中が良くなるわけでは決してありません。この考えをボランティアのレベルにとどめておけば害はありませんが、社会全体に敷衍してしまうと益があるどころか貧困や飢餓などの大悪をもたらします。


誰をも収奪されていなければ(=寄生、滞貨、在庫などの非効率な分配が全くおこなわれていないならば)これ以上優れている状態が望みようの無い、いわゆるパレート最適の状態であり、それでも人が死んでいってしまうのなら、それは地球に放射したり埋蔵されたりしているエネルギー量の取り出しににコスト的な限界があったり、人間が病気になったり老いたりするといった、自然条件や環境条件による不可抗力による限界であって、政府や医療システムや生活インフラ維持機構などの”社会”はベスト中のベストを尽くしているわけで、決して社会が間違っているわけではありませんから、絶対に社会を破壊したり政府の足を引っ張ったりしてはいけません。


収奪されていないというのは分配が十分だということと必ずしも一致しない。分配が不十分だったから死んだのだろう・・という理屈は確かにいえているでしょう。けど分配だって税をとられるほうにしてみれば感覚的には収奪されてるのと全くかわりがないのです。己の稼ぎからなけなしの金を払うわけですから・・カーネギーのように、”生活する以上の稼ぎは社会から運用を供託されたも同然である”というすごく立派な考えを市井の凡人が抱けっていたって絶対無理です。


だから、収奪されることはそれが誰かに分配されるわけだから、分配するには必ず誰かから収奪しないといけない、”収奪=分配”であって、収奪なしに分配はありえないわけです。(もちろんそのプロセスにおいて徴税官の人件費やデータベース維持費などの必要コストも消費されますから厳密にはイコールにはなりませんが。)

ともかく、たとえ多少額をとられたからといって生活にこまるわけではない金持ちから税をとって貧民の生活に当てたとしても収奪は収奪です。自分がひとより二倍金を持っていても、平均的なひとより三倍苦労してそれを得たとおもってるなら、並みの人より所得や資産が多くても”俺は人よりむくわれていない”と思い、彼がもし税を余計に納めて、税があまり努力してない並み以下の所得の人の生活費にあてられたら、絶対に”俺は収奪された”と思い込みます。

人はそういう生き物です。ですから、この感情を政府や社会が是正なんてできません、金一円あたり自分がどれだけ苦労したかなんて感覚は全くの自己申告の世界ですから・・・結局、個人レベルでは収奪かそうでないかというのは恣意的にしか判断できません・・・


話をもどします。


” 飢えや貧しさや絶望や過労のために死んでいく人がいて、それが放置されているのなら、その社会の仕組みは間違っている”という考え方が間違っている・・ということは前に言いました。それで、その間違っていないものに対して間違っていると排斥したり、じゃあ間違ってるからといって破壊して別のものをうちたてようとしたりするという革命思想は、既存のシステムが極端にヘンチクリンなものでなければ、おおいなる無駄であるばかりか、かえって生活インフラの不足により人を”飢えや貧しさや絶望や過労のために死なせてしまう”ことになるわけです。カンボジアや中国やソ連やヒッピーや作家のコミューンで腐るほど実例があり一つ残らず失敗してきたことです。ですからこういった考え方を自分が抱いていたり人にすすめていたりしていてもそれは人を豊かにすることを必ずしも意味していないわけです。逆にそういったシソウを批判している人がいたからといって、その人は人を豊かにする心意気が乏しいのだ!と批判できるわけではありません。』 (2007/04/06 02:46)


Arisan

>natamaruさん。

いま、すごく簡単な答えしか思いつかないのですが、「収奪=分配」というのは、たしかにその通りかもしれませんが、大事なのは「収奪」の中味であり目的だと思うのですよね。
ある人にとって「収奪」と感じられるようなことを通してであっても、なされるべき分配がある、という考え方をする人たちがいて、ぼくも今のところそのように考えているのです。
あなたは、過去や現在の社会主義国家などの失敗例から、そのような仕組みをとらない方が「より豊かな」社会を作るにはよいのだとお考えのようですが、仮にあなたの言うように「より豊かな社会」が到来したとしても、あなたの個人主義的な(?)考えに立つ限り、その全体の「豊かさ」は、死につつある人や困窮している他人を救うことには向けられないはずだと思います。それなら、その「豊かさ」には意味がない。だから、あなたのような考え方に、他人の生存を救うことにつながるような積極的な意味を認めることは、ぼくには出来ません。
これまでの失敗例を繰り返さない仕方での、分配の仕組みを考えていく以外に、とるべき道はないのだと思います。』 (2007/04/06 18:16)
Arisan 『>tu-taさん。

たいへんハイブローな引用だったので、ちょっと戸惑いました(笑)。
ご紹介いただいた小倉さんの記事、読んでみました。
十分理解は出来なかったのですが、ただ、あそこに書かれていたような構造化を逃れて「個人」という枠から逸脱するような人間の存在の要素(小倉さんは「身体性」という言葉を使われてましたが)が浮き彫りになる、また相互に関わりをもったり交通する場として、ブログやインターネットの空間一般というものは期待されてきたと思うし、ぼくもそういう希望は完全には捨てたくないわけです。
まあ、「絶望的」になりがちなんですけどね(笑)。
こうした場においてでも、何か他のヒントになるような試みを、自分なりにやってければいいなと思っています。
今後もよろしくお願いします(ブログは、結構しょっちゅうのぞいてます。)。』 (2007/04/06 22:36)

CrowClaw 『> Arisanさん

レスありがとうございます。

> ぼくのブログのコメント欄から飛び火したような形で、とても大変な経験をさせてしまい、申し訳ないような気持ちがあります。

いえ、最初の数日はともかく、あとは私のほうが勝手に彼の行動を批判していた面が大きいので、Arisanさんに責任は一切無いと思います。まあ、「悪い」とすればコメント禁止してもなおプロキシ経由で書き込んでくるような輩の方でしょう。

> 「左派」とか言われるのは別にいいんですが、こんな弱腰の「オピニオンブログ」なんてないでしょう(笑)。

すみません、私のボキャブラリーの貧困のためにあのような表現になってしまいましたが、社会のうちにある、有象無象の「権力」的なものに鋭い批判を加えているブログ、というような意味合いでああした書き方をしました。他意はありませんでした。

横レスですが、

> あなたの個人主義的な(?)考えに立つ限り、その全体の「豊かさ」は、死につつある人や困窮している他人を救うことには向けられないはずだと思います。

以前この人が私のことを「ポル・ポト主義者」などと言ってきたことがあったので、「富の再分配の理念を頭から否定する、貴方のような考え方こそ独裁者そのものだ」と返してやったことがあったのですが、このエントリーや先のエントリーについているコメントを見ると、やはりというか何というか、私やArisan さんが何を言っているのか全く分かっていないみたいですね。
まあ、彼はその「社会」や「政治」や「歴史」に対する考え方以前に、他人の意見に対して「自分の考えは全て正しく、自分に反対するものは全て間違っている」としてしまう心の欠陥を抱えているので、私やArisanさんの言うことが分からないのも無理ないことではあるのですが、しかしそれは彼の心の問題故に、他人がどうこう言って何とかなるような話ではないのですよね。悲しいことですけど。』 (2007/04/06 22:58)


natamaru123 『
>仮にあなたの言うように「より豊かな社会」が到来したとしても、あなたの個人主義的な(?)考えに立つ限り、その全体の「豊かさ」は、死につつある人や困窮している他人を救うことには向けられないはずだと思います。


よく考えたら、そもそも社会が豊かだろうがなかろうが死につつある人や困窮者が同時代の若者や健常者より相対的に”救われない”のはあたりまえではないのですか?

働き盛りの人より体がいうことをきかなく行動の自由はなく、健常者より死への恐怖はより多いのは社会の豊かさや安部内閣の横暴さや格差の有無とも全くの関係のない自然現象ではないですか?たとえ社会が豊かになって困窮者や病苦者の苦痛がやわらぎ彼らの生活が”底上げ”されれば、健常者の生活だって文明の進捗におうじて医薬品や健康グッズ、疫病対策の進歩によって”同じ程度に底上げ”されるでしょうから差は永遠にちぢまりません。

その差はあって当然なので、っていうかあって当然(働き盛りの肉体や生活状況が病人に近けりゃ、そっちのほうがよほど異常なこと)だから、当然その差を無くすべきでもありません。死にそうな病人と差がつきすぎだといって健常者を病気にしやすくしても社会が損をするだけです。

健康な人はうんと健康になってどんどん働いて金持ちになってどんどん納税してどんどん金つかってストレス解消して病人に気兼ねすることなく贅沢や恋愛やスポーツを楽しむべきです。はたからみれば格差が拡大してるでしょうが、拡大しなけりゃ誰も税や預金を治めません。明日生きていくのに精一杯な病人や貧窮者が税を納めたり預金できません、むしろ貰う側です。金持ちからの税や預金がなきゃ貧困救済や医薬品開発をおこすプロジェクトの原資がありません。』 (2007/04/07 18:40)


natamaru123 『
困窮や病苦が苦しくないのならだれもわざわざ苦労して困窮や病気から逃れようとしないですよね?逃れたいからこそ人はコストかけて知恵絞って対策するんですよね?病気しても健常者と同じ自由度で生きられたら苦労して病気をさけようと健康に気をつけようとしないですよね?

困窮したままでいたり困窮に転落することは富裕の状態をキープしたり困窮しないよう日々勤めることよりはラクですよね?健康管理に細かく気をつけることは健康に気をつけず悪化するままにまかせることよりよりはるかにラクですよね?

人間の生理現象がどういう性質なのかっていうのは古今東西普遍であって別に政府が右か左かとか資本主義かそうでないかとか格差があるかないかは関係ないですよね?今日本が安部内閣や資本主義だから彼らは病気で苦しんでるのですか?(逆が正しいとは限らないのでたとえばの話ですが)右翼な内閣や資本主義体制じゃなかったら病気や困苦で苦しまなくなるのですか?あるいは病気や貧窮をしてても苦しくはなくなるのですか?


どう考えてもならないとおもうんですけど・・・


誰が総理になろうが経済がどうであろうが病気になれば健康なときよりつらいし困窮したら金持である状態より苦しいと思うのですが・・どう考えても、日本で病気になるより、キューバや中国で病気になるほうがラクだ”なんてことはないでしょうからね。』 (2007/04/07 18:43)


natamaru123 natamaru123 『訂正
はるかにラクですよね?=はるかにしんどいですよね?』 (2007/04/07 18:43)


natamaru123 『

より豊かな社会にしないと自分はおろか困窮者さえ救えません。豊かでなければ人は自分のことで精一杯で人にかまう余裕なんてないからです。全員が生活保護受給者さながらの綱渡り生活をしていたら、あるいみ格差がなく平等でしょうが、余剰資本すなわち税や預金は集まらず投資事業を何ひとつおこなえず、国や会社やボランティア団体は困った人を救うプロジェクトを何もできなくなります。ということは病人や貧困者が救えないということです。

貧困者や病人を救うためには、所得の一部だけで自分をまかなえて、後は全部他人のためにつかえることが可能な”豊かな人”、がたとえ一部でもいいから出現する必要があります。

一部であっていいので、全員である必要はありません。これは、社会の漸進を進めていく上で、格差の解消は全く念頭におく必要がないということです。

こういう人よりちょっと豊かな人をたくさん造ればいいではないか!と思う人もいるでしょうが、100豊かな人は理論上99の分をほかにつかえるわけで、それを税をおさめるなり銀行に預金するなりすれば社会で99の余裕がつくれるわけですから、10の人が10人できて90余裕ができることとあまりかわりません(むしろ捻出余裕は多い)。・前に説明した建物の階数のたとえのとおり、人間個人や法人の持つ富は他人に移動できない固定スキルを多く含みますので、100豊かな人を一人へらしたところで、10豊かな人が110人出現するわけではありません。よって、強硬に所得を人から人へスライドさせることはかえって労多く益がすくなく無意味です。


また、どの階級がどれだけの数いるかというのは、産業構造すなわち社会の勤労者の人材需要がフォーディズムであるかどうかに依存しています。労働者として、ものずごい優秀者がちょっとだけいれば社会がまわっていくしくみになってるか、逆にぼんくらが多数必要か、あるいはユニクロ、yahooBBモデム、T型フォード、ウィンドウズのような一企業の一人勝ち大量小品目生産物、事務作業軽減装置の普及と大量生産による価格低下によって、利便性を受け取る低層階級に二分されていて中産階級が圧縮されているのか、あるいは小品目多選択肢による中小企業乱立+商品の高価格化選択多岐化による中層階級の膨張という産業構造かということも影響してきます。


結局、中産階級が多数出現するのか、それとも一人がちと負け組が多数出てきて中層が消えているのかは構造の問題であって政治や徴税システムでは制御できません。だから誰が悪いわけでもありません。今がそうなっているのは今の日本が資本主義をとっていることや総理が安部やコイズミだからではありません。もろもろの発明品が生み出した時代の流れです。』
(2007/04/07 18:46)


natamaru123 『
また、人は自分の財産を容易に手放さず、離すとすれば徴税官の大量雇用、GPUKGBのようなスパイ組織のような強制力が必要とされます。奪えると見込めるエネルギー以上に多大なるエネルギーをついやさないとなりません。要は赤字です。いわば、個人と財産の結びつきはダイヤモンドの分子結合のごとく硬性なのです。


社会の総所得をかえずに個人個人の財産を他へ移すというようなことは土建屋が土を地ならしして造成地を平らにするようには簡単には行きません。土ならゆんぼ程度で高いところから低いところ容易にへスライドできますが、個人の持っている財産は結びつきがやわらかいものではありません。


人間ですから、金をほいほいと他人にわたさず、それが奪われるとわかれば、金を隠したり脱税したりしてなんとか奪われないようにして、訴訟だのご近所トラブルなど裁判などとごねるのを苦にしません。


みんな苦労して稼いできたと思ってるからそうするのであって、平気でぽんぽんひとに渡せるような聖人になれ!といっても無理です。


人から富を貰うばっかりでは社会の富は維持できません。だから現在の働き手がもらうだけでなく稼がないと社会は遺産を食いつぶすだけで衰微してしまいます。

人に稼いだ金を奪われたら青筋たてて激怒するようなくらいじゃないと金を稼ぐ人になれません。ですが、こいつから徴税するのは徴収できる金以上にコストがかかってしまいます。


金をとってもにこにこしてるような聖人ならばそいつがあぶく銭をもっていれば簡単に徴収できるはずですが、そんな心根のやつに金は集まりませんから、当然彼は徴税できるだけの金なんてもっていません。


奪われると死に物狂いになって抵抗して、一億円うばうのに十億円かかってしまうような奴らのところにしか金は集まっていません。十億円あつめるのに一億円ですむような人には十億円はおろか一円も金はありません。だから国や慈善団体が人からかねを集められる額には限界があります。これを考慮せずいくら実現不可能な机上の空理をまくしたてたところで現実は何も改善されません。むしろ彼らのいうことをきけば現状は悪化します。


稼いだ金でなく貰ったかねだったら、ぽんぽん人に渡せるでしょうが・・だったら税金や慈善事業は、気前よく手放してくれる貰ったかね同然である遺産ボンボンに任せて、奪ったら激怒するような成り上がりの苦労人から金を無理やり奪うこともないのでは?と思うのですがどうでしょう。』 (2007/04/07 18:55)


natamaru123 『
また、人は、”これはお前のもんだ、誰からも奪われないぞ、うばったやつがいたらトッつかまえてちゃんと罰してやるからな、だから安心して稼げ”とお上が保障してやらないと安心して金稼ぎをしません。そうしてやらないと人は風来坊になる道を選びます。


本当はもっともっと働くことができるのに、仕事は明日食べるぶん程度に済ませ、金をつかうこともせず、大麻すってテキトウに生きる道を選びます。蓄えも納税もせず嫁(婿)ももらわず子供も産みません。金が尽きたら助けを求めることも稼ぐこともせず自然死します。乞食村です。ヒッピーの理想郷みたいなもんです。


これでは社会に税も貯蓄もありませんので病人は救えません。』 (2007/04/07 18:57)


natamaru123 『

富裕者から10兆円を奪い、それをさらに貧民に分配し不平等を地ならしすることに100兆円のコストが必要ならば差し引き90兆円の赤字であり、90兆円をどこかから調達しないとシステムがまわっていきません。まだ奪ってない対象は貧民しかないですから、貧民から90兆円徴収して貧民に10兆円配ることになり、このような政策が行われれば貧民全員がコストの海に溺れて即死するので最初からやらないほうがましです。


仮にそれをおこなうとすると、貧民は金ではらえないのだから、労働力ではらうしかありません。


おそらく貧民全員が富裕者から税を聴取する徴税官(公務員)に就職し、朝から晩まで24時間全速力で徴税の仕事をし、それでもなお一日を満たす分のカロリーを富裕者からゲット出来ずにバタバタと死んでいくことでしょう。彼らは自分で何一つ生産していないのですから(っていうか社会で誰一人生産してないのですからあたりまえです。っていうか、働いたらかならず全部うばわれてしまうのなら誰も働く立場にたつなんてバカな真似はしないでしょう。エネルギーがどこからも補充ができないので当然の成り行きです。


気が付いた人も多いかと思いますがこれがロシア革命文化大革命の姿です。そこでいきていれば楽しいのですが、いつまでたっても豊かになれない南の島もにたような仕組みです。』 (2007/04/07 18:58)


natamaru123 『

話を戻します。

生産した人が生産したものを、たとえ自分が食っていく量以上のとほうもない量であろうと、ある程度自分の物とすることを公権力が何らかの形で保障してやらなければ、誰も自分が食っていく量以上の余裕を稼ぎ出そうとはしないということはいいましたね?


●余裕がないと誰も雇用されず誰も預金せず誰も新規事業をはじめず誰も発明を行う余裕をもたず困窮者や病苦者に富や働き先やノウハウを流しません。


●人はとられるとわかればとられる生産物そのものを生産しません。


●よって、食い扶持以上の稼ぎを必ずとられるシステムだと人から取れる稼ぎ自体が社会に存在していませんので誰からも何も徴収できません。


●食える分以上の稼ぎは社会に寄進すべし!というお触れをだしたとしても、そのお触れ自体が無意味になる。


自分は困窮しているから、モノがないと自分は死んでしまうからといって、奪うことにたいして全く罰を与えなければモラルハザードが起こります。


努力を放棄して自分を食えない環境に意識的においこみ、自分がくえないからという理由をつけて、罪をおうことなくノーリスクで富をうばう戦略が得になってしまいます。


地球の人間のほとんどにとって、自分で食っていけるようにリスク負ったり工夫したりがんばることは食っていけないままでいることよりもはるかにめんどくさくつらく苦しいことなので、地球上の人類のほとんどがそうすることでしょう。



このような政策をとったとたん社会という”みこし”の引き手が誰もいなくなり、みこしはぱたりと停止し、人類全員が呼吸、食事手段など基本的な生活物資を絶たれ即死します。』 (2007/04/07 19:06)

natamaru123 『
無理な徴税は支出のほうが多いということはいいましたね?

そのエネルギーを富裕者のもとにとどめておいて、少量でもいいからなるべく低コストで取り出すようにして、そのおこぼれを直接貧困者の救済に当てたほうが利巧です。


会社のブランドとか職人の技量や職務級やスキルなど移動不可なものもあるのでロスなしには所得はスライドしません。っていうか累進課税によりモチベーションの低下が一番深刻です。ハードな平等政策をとっていたら彼は苦しんで医師や発明家になるよりも、凡庸に甘んじたほうが得だと思い、彼は1の市井の遊び人か凡庸な労働者で一生を終え、100の発明王や富豪がそもそも誕生してなったかのうせいもあります。


楽して稼ごうがボンボンだろうがホントに苦しんで稼ごうが人は自分お金を”死に物狂いで稼いだ”と自分では思っていますので、それを手放させるには相当なエネルギーコストをロスします。


貧困者の子弟の教育費を捻出するのに、豊かな者から無理やり奪うよりは、豊かなものに愛人でも隠し子でもなんでも容認して、たくさんコドモをつくらせて、貧乏人は嫁候補を富裕者の愛人として全部もってかれてコドモがうめないように仕向けて、社会が教育や育児を全部、堤安二郎のような富裕者におっかぶせってしまったほうが結果的に教育費や社会福祉費は安上がりになります。


これは、いいわるいとかというのではなく現状の単なる分析で”そうすべきだ”でなく、”そういうことだ”ということにすぎませんから、僕の思想や信条とは全く関係ありませんのであしからず。』 (2007/04/07 19:12)

natamaru123 『
話を戻します


今が”より豊かになった”ことで、病人や貧困者や途上国の人たちは、果たして昔よりも困っているでしょうか?


昔無かったようなアウトドアグッズの出現や効率的エネルギーの出現はどう考えます?僕はエネルギー問題に興味があるのでそういったサイトをよく見てますけど、先進国の技術者や企業、あるいは途上国でも富裕者の子弟に生まれた者たちが便利な発明品をばんばんつくってます。途上国の人やまずしい人は安いコストで環境に負荷なく便利な生活がれらえるので大助かりです。簡単に煮炊きができるので主婦がフリーハンドになり、乳幼児の死亡率も劇的に下がっているので維持するにあたってたくさん生むひちつようがなくなりダブルで女性が負担減になり、余った時間で学問や仕事ができるようになっています。この女性の進歩にフェミだのジェンダーだのといった学問は一円も貢献していません。夫は妻に嫉妬して足ひっぱってバックラッシュしてるのでは?なんて考えるフェ身御仁もいるようですが、いえいえそんなことはなく夫だって全く稼げない人を一人食わしていく負担が減って大喜びですよ。バックラッシュ人間なんてバカはフェミ学者の脳内にしか存在してません。浮世の人間は学者せんせいが思うほどバカではありません。


日光で料理や水の煮沸ができる装置、電気が無くても冷暖房が出来る装置、病人を救う新治療法・・・これらは困窮者自身が発明したんですか?違いますよね?これらを発明したのは一流企業の開発担当とか工学博士とか先進国の人とか、困ってない豊かなひとたちでしょ?


誰かが豊かじゃないと豊かはない人はすくえないってことっですよね?だって豊かじゃない人が自分を救う発明や医薬品の開発ができます?彼らが畑の世話や水汲みするかわりに机の前で発明に思案を凝らせば明日の飲み水や飯代を稼ぐことができなくなっちゃうので死んじゃいますよね?


でも余裕のある豊かな人なら半年くらいは飯代稼がずに研究室の中や製図版のまえでうんうんアイデアうなってもしばらくはしのいでいけますよね?


そうすりゃ発明品が世に出ますよね?そして貧困者や病人はその便利グッズを利用して死ぬのをまぬかれますよね?


誰も発明しようとしない、医者になれない社会のほうがそういった社会より勝っているとでもいうのですか?貧富の差を解決したかったらまず一部でいいから、最初は不平等でもいいから、誰かしらが先に豊かになることは必要でしょ?』 (2007/04/07 19:31)


natamaru123 『
一部の人がより豊かになっても病人や困窮者の困苦がかえって昔より増大する社会がありえるとしましょう。


じゃあ、もっと格差ちぢめれば死にしそうな人が死ななくなる?


それが正しいとして、じゃあどうやって格差を縮める?銀行預金を減らす?そしたら資金不足で医薬品開発プロジェクトが頓挫しちゃうかもしれないよ?そしたら貧困者は困っちゃうよ?

あるいは所得そのものを物理的にへらしてみる?凄腕外科医の右腕を蹴っ飛ばして麻痺させて、ちょっくら不器用にさせ並みの外科医程度にさせて手術代を下落させますか?博士や凄腕経営者のあたまをトンカチでなぐっておつむをちょっとウスラトンカチにして市井の凡庸なおっさんにして富裕階級から中産階級にランクダウンさせてみましょうか?


でもこれって平等にはなるけど、豊かな人がまずしくなるけどまずしい人を豊かにしてないよね?トンカチで殴った分減った所得が貧困者の懐に自動的にほわーんと出現するか?しないよね?


そんなロスをするより、彼らを凄腕にさせたまま、その稼ぎ出した高給で、寄付すりゃレリーフに名前が刻印されるだの銅像つくってやるだの勲章やるだのとおだてまくって救済事業に投資させたほうがよほどましですよね?


でも、いくら寄付や徴税しても、食っていける分がのこるからといって、自分で稼いだ金ってのはなかなか手放してくれないですよね。?


ある程度とったとしても、うんと残ってれば、手放してくれる可能性が高いですよね、ってことは、小金もちよりも大金持ちのほうが金離れいいよね?


だったらうばったらそこそこの金しかのこらない小金持ちをたくさんつくるより、うばったとしてもうんと残ってる大金持ちを少し作ったほうが、あつめられる公共資本の量は多いんじゃありません?


格差があるからってない状態より必ずしもわるいってわけじゃないのでは?


凄腕外科医も経営者も、”ああ、今の世は、食っていく以上の稼ぎは自分の物にならないのか。”と失望したら、それほど技量は上達せずに並みの技量の医者で一生を終えたかもしれないよね?


企業単位だって同じだよね?にんてんどーはファミコンつくってなかったかもしれないよね?社会にあらゆる進歩グッズがはなっからなかったかもしれないよね?


企業の商品開発部とか教授職って自分の食べる米つくってないですよね?自分で営業してないですよね?でも、役割分担ですから彼らが食い扶持かせがないからといって労働者や営業マンや米農家の上にたって搾取してるわけじゃないですよね?』 (2007/04/07 19:37)


natamaru123 『
結論から言えば、より豊かな社会になるまえは、”死につつある人や困窮する人”はもっと苦しい状態だったのですよ?


より豊かになって、死につつある人や困窮する人が増えましたか?


そういう人の苦しみが増えましたか?

より豊かになれば、より豊かになった人が、自分の生きていく分以外にエネルギーを注ぐ余裕の量が多くなり、病苦者の苦痛を除去する医薬品の発明や、困窮者でも買える低コスト暖房装置の発明に思いを凝らす余裕も捻出できますよね?そうすれば彼らを救える確率が高くなりませんか?


エコキュートなどのエネルギー取り出し装置、先進国の道楽であるアウトドアグッズを流用した途上国向けの電気不使用の利便製品がものすごい勢いで実用化されてますが、こういった開発は余裕のある先進国の”甘ったれたぼんぼん”しか発明できる余裕がないですよね?


明日生きていくのでせいいっぱいな途上国の乳飲み子には知識もヒマもないからどう逆立ちしたって発明できませんよね?だったらごく一部でもいいから、だれかしらが豊かになって技術革新を担わないと、困ってる人はすくえないですよね?』 (2007/04/07 19:39)

natamaru123 『
たとえ途上国内であっても、医学候補生と水汲み専業志望者とで子弟の待遇が同じじゃダメですよね?学費はどうすんです?タダじゃ役にたてる人は養成できないんですよ?でもその余裕はどこから集めるんですか?若者に薪ひろいや水汲みばかりさせていたら彼は医学書が技術者読めませんから、水汲み仲間を含む村の人々を救うスキルを身に付けた大人になれませんよね?


こういった、働きアリと女王アリさながらの社会の役割分担(=格差)というのは、温暖な先進国と気候の厳しい途上国の間だけでなく、途上国内部の子供、あるいは同じ村の中でもおなじですよね?


エリート少年少女が、”みんながゆたかじゃないのに俺だけ豊かなのはなんか悪いきがするから俺も豊かになるのやめるよ”といって豊かになることを放棄したら、高価な人体解剖代は誰が払うのですか?だれが途上国や病苦者や貧民を救う道具を発明する博士になるのですか?


それを必要とする弱者がそれ自体を発明することは不可能ですよ?だって弱者なんだから・・・でも、発明できる人はそんなもん必要ないですよね?だってちいさいころから健康で頭脳明晰で博士号いくつももってて豊かな国に生まれるか途上国でも親が学費はらえるほど豊かで、余裕があって働き盛りなんだから・・っていうかそんなひとじゃないと医学マスターしたり発明に成功できませんから・・


誰か一部の子が同期の子を踏み台にして、いっさい食い扶持を稼がぬ極潰しの勉学者にならないと”かつて水汲み少年だった同期の大人”でさえもすくえないのですよ?でも、これってしろあり世界の分化のような、もちつこたれつの相互依存であって不平等とはちがうのですよ?不平等をつくらないと人間社会は進歩していけないのですよ。


勉学者だって全部が全部成功できなくて、弁護士試験落選や医学部単位習得に失敗しつづけて脱落したりノイローゼになったり起業失敗で酒浸りになり一生を棒に振るリスクも負っているのですよ?それがわかってるから、市井の”かつての水汲み少年”はエリートに対してなんやかんやと嫉妬してサヨらないのですよ?俺が下で奴が上”だなんておもってなくて、自分よりリスクを余計に負っているが先進技術などでメリットをもたらしてくれるので恩恵が自分より多いことを容認している”というある種対等な相互依存関係だとおもってるのですよ。ひがんでるのは思考を凝らすのを放棄した(そこまで頭がまわらない)怠惰なインテリだけですよ。これすなわち安易にサヨることにほかなりません。』 (2007/04/07 19:42)


natamaru123 『
簡単な理屈です。村中で皆水を汲んでるから、平等じゃないといけないといって全員に同じ分だけ水汲みさせたら誰も医者になれませんから村で病気がはやれば全滅します。水汲みながら医学書熟読や人体解剖実習はできません。だれか一人でもいいから、幼少のころから水汲みから完全に解放させなければなりません。


たとえこども同士であまり能力の差がなくとも、10人に一人を抜擢してコドモ同士で無理やり格差をつけて、こいつには仕事をいっさいさせず勉学に専念させ他の9人はそいつを支えるため水汲みしてそいつを含むみんなの生活をささえなければなりません。


コドモ同士で格差つけるな!といってそれをしなければ、いつまでたっても村に電気技師や医者は誕生しませんから村はいつまでたっても貧しいままです。でもあるいみ平等っていっちゃ平等です。


電気管理者や医者がいる村は豊かになれるけど不平等ですよね?格差ありますよね?じゃあ、あるからといってダメなんですか?格差を放棄して一人も医師のいない状態に戻れとでもいうのですか?格差をつくらないと村には医者が一人もできないんですよ?病気になれば村人がバカスカ死にます。


医師をつくれるはずなのに、格差をおそれてつくろうとしない。これは、貧困でなく知的怠惰です、停滞です、悪平等です。』 (2007/04/07 19:45)

natamaru123 『

教育機会だけを平等にすればいいのでは?他の子ははなから医師をあきらめさすのは酷だ。全員が潜在的医学候補生としてある年齢まで平等にエリート教育を受けさせてみれば?というひともあろうかと思います。これも誤りです。分散して効率を悪化させています。エネルギー問題も投資も同じです。高い効率を出すには集中する必要があります。


教育を中途半端に平等にすれば、高校中退程度の、医者にもなれず水汲みも全力つくしていないどっちつかずの連中がたくさんできるだけです。医師は一人も誕生してないのですからエリート教育への投資は全部無駄になり、落第者はその分職人見習などの実学か水汲みしてたほうがよほどましだったということになります。


一兆円をかけて100万人の凡人に生活保障してやって朝から晩まで投球練習させて二軍にやっと届く程度のやつを10000人養成して松坂大輔を一人も輩出しないのとおなじような無駄な行為です。分業するなら徹底的にしないと効率がよくありません。

だったら同じ一兆円使うなら松坂になれそうな優秀なやつに集中投資して松坂クラスの100億円プレイヤーを100人作ったほうが元とれますよね?200人つくったら一兆円もうかりますよね?


10000人の凡庸投手より100人の松坂です。・村の子供も同じです。子弟の間で人為的でもいいから格差をつくらないと発明グッズのレベルアップができません。』 (2007/04/07 19:48)


natamaru123 『

便利グッズの利便性を享受するのは弱者でしょ?だって働き盛りの強者なら厳しい環境はかえって淘汰に有利ですよ?ばい菌除去や筋肉作業代行などという便利グッズのメリットは、強者よりもおもに弱者に下駄をはかせることができますから、競争参加者どうしの差をちぢめ、弱者が競争に勝利する機会を増やしてしまっています。強者が相対的に不利になっています。だったら強者はあえて発明しないほうが得だということになります、なのにどうしてせかせか発明して弱者をたすけてるんでしょうね?(・・まあ、この話はまりんばの対話でやってますので後でリンクしますがね)


話を戻します


長期間の高等教育ができる子って、親に余裕がないとだめですよね?社会が余裕があるならだれでもいですけど、余裕が無い社会だと犠牲になって余裕あるひとを人為的につくりださないとだめですよね?


”自分が大学院までいっても親が破産しない子弟”って、ぶっちゃけ地主の子とか社長の倅とかの、いわゆるぼんぼんっていわれる連中ですよね?


ぼんぼんだってバカかもしれないじゃないか!貧乏人の子でも利巧な素質があればぼんぼんとチェンジするべきだ・・ぼんぼんという理由だけで高等教育を受ける権利に恵まれているのはおかしい・・というかもしれません。


ですが果たして大きな問題ってあるでしょうか?ボンボンに教育投資するより貧民の子に投資したほうがその子は”伸びる”ので社会では得になるのでしょうか?


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あなたが富裕な者ならば
ジツの子がバカだったら貧民に放逐し、
逆に賢い貧乏人の子を養子にひきとるべきだ・・
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いくら彼が利己だからといって、富裕者が、赤の他人の子に、ジツの子以上に真剣に教育投資しようとするでしょうか?どうせ、教育費を出し渋り、彼女ができた、単位を一つおとした程度のことで何やかんやと文句つけだして大学中退程度にとどめて放逐するにきまってます。これが実の子だとしたらちゃんと卒業まで面倒見るでしょう。


(大学二年くらいになればあえて放逐して自分で生きていけるか試したほうがいいのですが、まあ、これはもののたとえということで・・)』 (2007/04/07 20:00)


natamaru123 『話が飛びますが・・


頭のよしあしに遺伝が関係してるのは誰しも否定できないですよね?すべてではなくある程度ということですよ。サヨさんは程度と確率をまるきり無視して上げ足とってくるから前もっていっておきますね。要は親もAという資質を持ってたなら子もA(である確率が高い)、Aに背が高いとか利巧とかバカとか代入すればある程度はいえてるってことです


で、資質はオトコ親から娘に、母親から息子に移ることもありえる(世代交代の資質の受け渡しの際”性が交差”してる)わけで、かつ、社会でオトコと女の社会的役割がちがうのだから、必ずしも親の富裕度と子を優遇すべきかどうかというのはリンクしてないのでは?と思う人もいると思います。


父が美男で母が不細工で、娘が母の顔面遺伝子を全面拒否し父の資質を全面的に受け継いで美人に生まれるかもしれず、父が甲斐性なしで、母が賢いが母が主婦やってるので息子が頭よく生まれても家が貧困だとか・・・


でも、このような組み合わせって現実に多いんでしょうか?見渡してみてもすばしこい青年実業家には経済にあかるく伸びそうな業界(=伸びそうな男選び)がかぎわけられる賢い女が妻におさまってて、ドキュンオトコにはやっぱり茶髪でパチンコ三昧のドキュン女しか嫁にいってないような気がするんですが・・・


せめて、ドキュンオトコに嫁いてしまった母を救済すべきという意見もあるかもしれませんが、でも賢くて貧乏人に嫁いだ女性だって、自分は賢いので現時点でメリット受け取らなくても自分の腹からは賢い子が生まれる確率が高く老後は面倒見てもらってウハウハになる確率が度キュンのバカ女よりははるかに高い”ということで十分メリットをうけとれているのではないでしょうか。遺伝子は健在して潜在してようがある種の資産なのではないでしょうか?潜在的な賢さは子供の優秀さによっておつりがくるというわけです。


そもそも賢い女性はしたたかですから一時の愛情にほだされず稼ぎの無い男の嫁にはめったに嫁ぎません。


前にもcrowさんのところでいいましたが、豊かで美人でいくらでも金持ちに嫁いでラクできるのにあえてドキュンに嫁ぎ苦労してるのは広末くらいなもんです。ってことは広末ってのはあまり頭よくない生き物だということは認めざるを得ません。


そもそも成功者で財産もちのおやって計算ずくで利巧でしょうからなんでも投資対象としてみていることでしょう。コドモがバカに生まれそうな遺伝子もってる女に惚れません。結局、富裕者はバカ女をあまり嫁にせず豊かな家のもとからバカな子が生まれにくく、エリートを選抜するのに親の財産の多寡を基準にしてもそれほど失敗はすくないだろうということは、選抜のコストを渋りたい人材選抜するがわにとっては容易に計算できます。富裕な実親というのは教育費を自弁できますし我が子が対象ですから多額な金をとられることに不満はすくないでしょうからなおさらです。


富裕な親にたいして、お前の子はバカだから高卒にとどめておけ、かわりに貧乏人の子弟相手の人材投資プロジェクトのほうにあまった育英資金を流用しやがれ!と社会が強要したとしたら多少はぶーたれることでしょう。まあ貧乏人にしたって昔も今も奨学金とかマネーの虎だのといった若者相手の起業支援がいくらでもあります。こうしたところの力を借りられないような人や所詮その程度の人材だということです。金持ちになる資格はありません。教育させたり金貸したとしても返ってこないでしょう。だから誰も助けないのです。投資をあつめれないのなら己がバカに見られてるのか投資プランが採算あわないと見られてるかのどちらかでしょうから、まずやるべきことはサヨって金持ちの倅をうらむことではなく己の人格と事業プランを見直すことです。』 (2007/04/07 20:18)


natamaru123 『

話を、医者を養成しようとしてる百人の村に戻します。

地主の子でめぐまれてるだの貧乏人の上にたって収奪してると悪口言われようが、そういう”水汲みしないかわりに、その分空いた時間を病気の名前をおぼえることについやせるぼんぼんの子”という連中がいないと、社会をより豊かにしないと死につつある人や困窮する人の苦痛は減らないというのは、おわかりいただけたでしょうか。


かれらボンボンが豊かに”ならなくなった”ところで困窮者の苦痛は減りません。豊かな人がいるから彼らが困窮してるわけではないのですから・・


だから、困窮していさえすれば豊かな人から自分の食う分を奪うことは正当化されません。こんなことが許されるなら社会はモラルハザードがおこって立ち行かなくなります・・


困窮してる人が分配されないと困るからといって分配してしまったら、あるいは奪うことを許してしまったら、理論上、困窮しさえすれば、己の食い扶持は自弁する必要が無くなってしまいます。


人間だれしも、食い物を自分で稼ぐことよりは稼がずに奪うことのほうがラクだと思うでしょうから、みんながみんな”困窮”して”奪おう”とするでしょう。


でもみんなそうしちゃったら誰から奪うってんです?一億総寄生虫で誰が食料品や飲料水や電力の生産を肩代わりするってんです?


奪われる一方の豊かな人だって馬鹿らしくなって勤労意欲をおとし最初から資本を蓄積して無いでしょうね。ってか奪われてはなから残ってない。


社会が昔からそんな状態だったら文明を石器時代よりさきに進ませるのは難しいでしょう。北斗の拳や今の北朝鮮がそうです、


北朝鮮儒教道徳などの体制や気候の条件が悪かったために(ていうか住んでる人間が劣悪なためその程度のシロモノしか作れず)、あるいはそれゆえに優秀な人ははなからそこに住み着かず地元の優秀な人材は流出してしまって劣悪な人材しか住まないという負のフィードバックがおこっているため、昔から資本の蓄積が乏しかったので進歩がしにくかったのです。


立地におけるシステムが優れていないための貧困や停滞であり、そこでの立ち振る舞いは先進国のシステムの性格とはなんら関係がありません。しいていえば海から吹く南風が朝鮮半島に到達する前に日本の山脈が水分を全部”こそげ落として”しまうためであって、日本の場所と弓形の形と山脈が悪いのであってそこに住んでいる日本人のせいではありません。


より豊かになって病苦者や困窮者の苦痛は増えましたか?増えてませんよね?増えてると思ってるのは世の中が悪くなってるから救う方法が必要だ!主張するメシア論者だけですよね。どうして増えてもいないのに増えてるだなんてウソをつくのでしょう?


わるくなっていなけりゃ救う必要なんていりませんからメシア論者の説法なんてだれも聞く耳もちやしないからおまんまの食いアゲになりますよね?だから、そういうウソをついてるのではないですか?


まあいいや、これを話すとながくなるのであとにしましょうや・・・


言葉遊びだとおもって無視しても結構ですが、死につつある人が困窮してる人が全く救われない状態ならば、それは、そもそも”より豊かな社会になっていない”のだと思います。