証拠を隠滅した側に与するものが信じてもらうための条件 に突っ込み

natamaru1232007-04-16

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070416/p4

コメント


ももんが 『
>生存者への聞き取り調査ももちろん行なう


心配ご無用です、そういうふうに思っている有志のひとたちがすでに盛んに聞き取り調査をおこなっていて、”わしはあんとき南京いってたけんど、大虐殺ってありゃーインチキだわなぁ”という証言が山のように集められております。


はい、ちゃんと聞き取り調査を集めましたので、無視しないでちゃんと尊重してください。


この期に及んで、まだ調査が足りないというのなら、それは”自分に都合のいい証言”が足りないってことでしょ?。』 (2007/04/16 21:02)


bat99 bat99 『>証言が山のように集められております。
具体例を教えて下さい。


ついでに偕行社の「証言による南京戦史」での証言について見解をお持ちでしたら、教えて下さい。』 (2007/04/16 21:43)


Apeman 『とりあえず慰安婦問題を念頭に書いてる…ってことくらい、昨日のエントリ読んでいれば自明だと思うんだがなぁ…。まあそれはいいとしても、「虐殺は見てない」って証言は、たとえそれが主観的には真実でも、「証言者がいた場所、いた日時には虐殺は起こってない」ってことしか証明しないんですよ。言い換えれば、「南京大虐殺はなかった」と証言できる人間なんて、原理的に存在しないんです。「虐殺なんて見無かった」と言う証言をベースに大虐殺を否定しなければ、南京全域、南京攻略戦前後の数週間をカヴァーするだけの証言を集めなければならんのですな。そのうえで、「虐殺を見た」とか「家族が殺された」といった証言と対照して、「なかった」とする証言の方が信憑性が高いことを示さねばならない。それには程遠いというのが実情ですな。
bat99さんの二つの質問にもぜひ答えてくださいね。』 (2007/04/16 22:07)


ゆーき 『そんなに「なかった、なかった」と言いたいのなら、まず旧日本軍の戦闘詳報で報告されている場所の「なかった」という証言でももってくればいいのに・・・


なによりそうしないと「否定」や「疑問」をつけることすら無理で、両事実は併存するだけなのに。』 (2007/04/16 22:18)


Apeman 『ゆーきさん
「なかったことを証明しろ、というのは悪魔の証明の要求だ」とか言い出しそうなひとに限って、至極安直に「なかったことが証明できた」と主張したがるのは興味深い現象ですね。』 (2007/04/16 22:27)

僕のオリジナルのコメント

>とりあえず慰安婦問題を念頭に書いてる…ってことくらい、昨日のエントリ読んでいれば自明だと思うんだがなぁ…。


慰安婦が高給を約束されていたことを証明する広告が出てきましたが?これは証拠とは呼べないのでしょうか?


>apeman>言い換えれば、「南京大虐殺はなかった」と証言できる人間なんて、原理的に存在しないんです。「虐殺なんて見無かった」と言う証言をベースに大虐殺を否定しなければ、南京全域、南京攻略戦前後の数週間をカヴァーするだけの証言を集めなければならんのですな。


なたまる
はい。だからこそ、なかったことをあったというのは至極カンタンで、なかったことをなかったと証明することは至極難しいのです。仮に一人の証言でカバーできる地理的範囲を1ブロックとして、南京が100ブロックに区分けされるとすると、その100ブロック全部で無かったという証言を集めなくてはなりません。物理的にきわめて困難で、実質不可能です。


が、逆に虐殺がどこかひとつであったとでっち上げることはきわめてカンタンです。否定派が99地区で無かったことが証明できたとしても、残り一地区で証明ができなかったとしたら、その残りの1地区で虐殺があったことをでっちあげらればいいわけですから・・・


>ついでに偕行社の「証言による南京戦史」


あったという証言も山のようにあれば、無かったという証言も山のようにあるということです。みとめていないわけではありません。


>証拠隠滅した者たちを弁護しようとする人間が「ほらないだろ?」と威張ってみせたからといって国際社会の理解が得られるはずもない。


終戦後に南京を奪回しそこに50年以上も居座り、当時の埋葬係も自国領土内にいるので本来なら日本側の証拠に頼らずともいくらでも自国内で証拠が集められるはずの政府が、日本側に「証拠だせ!」と威張ってみせたからといって国際社会の理解が得られるはずもない。


っていうか、十年以上も文化大革命を続けていて数千万が殺しあってるカオス状態の時に行った証言者へのインタビュー集は何らかのプロパガンダの関与を疑うのが当然であり、その証言が国際社会で信憑性がえられるはずもない。