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natamaru1232007-04-27

http://d.hatena.ne.jp/natamaru123/20070417/1177179238#c1177686391
>CrowClaw 『いやですから、いくら「実感で分かるだろ!」と言われても私にはそうした人々が身近にいるという「実感」がないので了解できないんですってば。繰り返しますけど、natamaru123さんの理屈が「「常識レベル」の話」であるというならば、現実社会にそのような考えの男性や女性の例が五万と無ければおかしいはずで、星の数ほどの具体例があるはずなのに、何故それを二つか三つすぐに例示できないのかと言っているのですよ。natamaru123さんの実感としては、そうした男性や女性の存在は「常識レベル」の話なのかも知れませんが、それが日本に住む大多数の人に受け入れられていないのでは、それは「常識レベル」の話などではなく、単にnatamaru123さんの個人的な実感に過ぎませんよ。
しつこいようですけど、本当に「具体例」を提示できないのですか?「常識レベル」の話なのに?』 (2007/04/28 00:06)



うーむ。重症ですな。はっきりいって、論理が狂っています。証拠提出が出来ないことをもってその意見が誤っていると証拠付け、その反対の主張をしている自分の意見を正しいと結論してしまう・・詭弁の陥穽にはまっておりますな。


彼らは、右利きが集まった同好会がネット上で見つかりにくいからといって、”なんだ!ネットにあるのは左利きのサイトばかりじゃねえか。人類に右利きが多いなんていってるのはお前だけで、この世に右利きなど存在しないんじゃコラーー!”とわめくのでしょうか?


この世に右利きの同好会やサイトが無いのは、メジャーすぎるのであえて社会に圧力をかける必然性がないから結束する必要がないからであり、逆に左利きのサイトが目立っているのはその逆がいえるからなんですが。。。


おおかたの女性が乞食よりも3高を望む、男がブスよりも矢田亜希子顔をえらぶ、現世は右利きが左利きより多い。


こんなの、人間がだれしも持つ自然の感情、あるいは世の中にみられる自然現象で、説明も証明も必要の無い常識ってもんで”うそつくなよ、あなただってそうおもってるでしょ?””あんたがそう思って無くても、クラスの人にアンケートとったり、身内の人たちにきいてまわったら、僕のいったことと同じ結論がでるってことはだいたい予想がつくってのは言わなくてもわかるよね?”という一言で終わってしまう代物です。


こんなあたりまえのことを否定しちゃたら、この世のすべての物事が説明できなくなり、言語世界そのものが成り立ちません。


”証拠がないし、自分もそう思ってないからそうじゃない”


この論法を認めれば、勝手に自分で決めた基準にあてはめて、それにたがわぬものを誤りときめつけられ、それに相反した自分の意見は自動的に正しいとなるわけですから、そりゃ、南京も慰安婦もその論理をつかえば、確かに真実にはなることでしょう。(ルソーなどのペテン師や多くの宗教家は”常識を疑う”という大義名分で同じようないかさまをだいぶやらかしました)。


この論法をつかえば事実上負けることはないでしょう。ですが、あたりまえですが正しくありません。正しいと思っているのは当の本人だけで、この理屈をつかって相手や世間を説得させることはできません。



ぼくだって、ソースはないわけではありません。たとえば 【経営者の】女を雇いたくありません【本音】
http://love5.2ch.net/test/read.cgi/gender/1158838763/
のログを読めば、女性たちを使う人たちの本音がたくさんでています。これに類するスレッドやサイトはいくらでもあります。ですが、まちがった人の論理を間違ってると指摘するたけだけに労力を費やすのは悔しいので、演繹的にせめてみます。





一つお聞きしますが、証拠がだせなかったら正しいといえないのですか?たとえば、バルタン星人がこの世にいないことや、松村邦宏が垂直ジャンプで100メートルを飛べないことは、証拠をそろえることが確かにできませんよ。地球上のすべての星にあたって確かめたわけでなく、松村が高跳びをした記録は無いですからね。じゃあ、それをもってして、バルタン聖人なんていない、松村は100メートル飛べないという説は誤りになるのですか?だから、自動的にバルタン聖人が実在することや松村が100メートルジャンプできることが正しくなるのですか?ならないでしょ?


(これはあくまでもののたとえです、人間の跳躍力の限界や高飛びの世界記録をあたればすぐに否定できます。ただ、証拠がすぐ出せないということでその説がただしくないのだということはそれらが物事の根幹をしめる常識的な事柄であるかぎりそうだとはいえないということをいいたかったまでです)



とにかく、証拠が無いと指摘すれば、実感でわかるような常識的なこと、正しくて当然の物事も”自分はそうは思えない”といえばあっさりと否定できちゃいますよね?で、ど素人でも珍奇な理屈がいくらでも正しい理屈として作成できちゃいますよね。


おおかたの女性が乞食よりも3高を望む、男がブスよりも矢田亜希子顔をえらぶ、この事実をもとに理論を構築したら”それってもんもさんが好きってだけでしょ?””証拠は無いの?”とかえされる。水が高いところから低いところに流れる””いやいやたまたまその水がそうだっただけでしょ?”


そんなこといわれたらなんだって否定できちゃうっての。


でも、これらの根本の常識ってユーグリッドの5原則みたく他の論理からは導けないので、いったんそういった誤った理論武装をした人がでてきちゃうと、基本的に赤の他人が当人の論理世界の中に割りこんで否定することができないんですよ。だから、こういった人は独善に走りやすいのですよ。





複雑な一つの論理は、ある別のもっと単純な複数の論理から導けて、その論理も別の単純な論理から。。って元をたどっていくと、おおもとには、通低する常識ってもんが土台になっています、でも、その常識(コモンセンス)の証拠をだせといわれたら、あたりまえすぎてなかなか出せない。だけどその常識を疑ってしまうとその土台から成り立つすべての原理原則が通用しないことになってしまう。それじゃこの世が成り立ってるわけがなくなってしまう。この世を全部否定して一から構築しなきゃならなくなる。でも、そんなことしなくても、現状の世界はそれら論理群にのっとったちふるまいををちゃんとおこなっている、じゃあその根底常識ってのは証拠はないけど正しいとみなして間違いはなかろう。。。というふうにとりきめするしかない。で、それをみんなで了承しあって現在の世界ができているというわけですよ。


この根底常識を疑うってのはよほどの天才でない限り不可能なことで、ユーグリッド幾何学を認識しなおした数学者が名を成したことでもわかるとおり吾ら凡人には到底無理なことなのですよ。


ですがマルクスだのルソーだのいんちきな似非学問者は、天才にすら難しいそれ(壮大な既存体系の根底からの揺さぶり)を一般人に可能だとウソつかせて、”結果の言い換えを前提の中に含める””市井のバカでも疑いえない根本常識を証拠がないと言って否定し、世間の立ち振る舞いから遊離した全く新しい仮想世界を構築する、それは何百年後にならないとインチキが判明しないので提唱者が生きてるうちは大学教授の椅子は安泰”といういかさま手法を使って、うだつのあがらぬ二流大文系学生だの市井の労働者だの主婦だのといった凡人にでも、いままで構築された複雑な体系を論破できたとおもわせ、バカを得意げにさせて信者にさせるという子供だましをやって金を稼いでるんですよ。




参考

「示す範囲が不明瞭→存在しない」というサヨクにありがちな珍論を応用すれば↓こういう珍論も可能だ。


珍論4(筆者作成):土井タカ子存在しない論
 「土井タカ子は存在しません。だって考えてみて。土井タカ子って何なんでしょう。例えば土井タカ子が大便をしたとします。その大便は土井タカ子なのかしら。肛門を断面に外側に出たら土井タカ子でなくて、内側なら未だ土井タカ子なのかしら。それとも便器に落ちた段階でもそれは未だ土井タカ子なのかしら。食べ物は腸から吸収された時点で土井タカ子になり、腸の内部にあるなら未だ土井タカ子でないのかしら。あるいは土井タカ子って肉体そもものではなく、その考え方や意識を言うのかしら。なら、土井タカ子の腕を切り落とした場合、土井タカ子を切ったことにならないのかしら。全然土井タカ子を示す範囲が不明瞭だね。だから土井タカ子って存在しないんだ。」


* 事象言語化能力の低い者は文字情報(バーチャル情報)に頼る
 事象言語化能力の劣る者は、文字情報(事象をどこかの誰かが抽象化し文字化してくれた内容)を頼る。自分で目の前の事象を分析し抽象化(言語化)できない者が訳知り顔でシッタカをしたがる場合、誰かが抽象化し文字化してくれた内容を口写す以外にない。そして往々に新聞などのバーチャル情報を盲信し支那政府や西欧のナニガシカが記した文字情報の口移しを頻繁に発する。
 一方、目の前の様々な事象を自分で判断し表現できるものは、必要以上に文字情報に頼る必要がない。自分で事象を抽象化(言語化)することができるのだから。



* 事象言語化能力の低さは、モノの程度を把握する感性の鈍さから生じる
 サヨクが目の前の事象そのものを考察する能力に欠ける理由。それはモノの程度を把握する感性(=事象を抽象化して言語化する能力)が未発達だからだ。
 人はさまざまな抽象的な認識をし言葉で表現する。その言語は「美しい」、「大きい」、「楽しい」、「まっすぐな」、「恐ろしい」、「生き生きとした」、「騒ぐ」、「喜ぶ」、「うごめく」、「お金持ち」、「苦労人」、「賢者」など様々だ。
 これらの言葉を理解しまた発言するには、ものの程度を把握する感性が必要である。誰かを「賢者」と表現するにあたって何か明快な基準があるわけではない。「賢さ」をあらわす客観的な数値がありいくつ以上が賢者、いくつ以下が愚者などと決められているわけではない。上記の「日本民族」「普通」「男らしさ」「女らしさ」「土井タカ子」などの言葉も同様だ。
 人々はこういった抽象的な言葉を使っているし使って良い。特に高い感性がなくとも、普通程度の感性があれば使うことはできる。多くの人々にはものの程度を把握する感性がある。
 ところがサヨクはモノの程度を把握する感性の鈍いから、事象言語化能力が劣り、その結果「日本民族存在しない論」をさえずる結果となる。


サヨクの事象認識能力の欠如を反面教師とするべき
 上記珍論をさえずるサヨクとは例えるならこういう存在だ。
 きわめて視力の悪い男がいたとする。その男はやや離れた場所を歩く犬が見えない。しかし普通の視力のある人々はあそこに犬がいるという。その男は自分が普通の人に見えるものが見えない。その有り様に、自分をナニか優れた存在だと本末転倒な勘違いをする。そして大威張りで「あそこに犬はいない」論を主張するようになる。


 「皆はあそこに犬がいるって言うけど、犬って何?もしかしたらそれは猫かも。犬なんていないんだよ。ううむ、俺って何か人の言わないスゲーコト言ってるうう。俺ってアタマイー。」


 つまり単に能力の低さから生じた勘違いを、さもスゲーコトを大発見したかのように大騒ぎしているわけだ。


 ただ、こういった勘違いはサヨクに限らずへ理屈覚えたての詭弁君がハマりがちなドツボである。「遊びは存在しない論」とか、「人間は存在しない論」とか、「1+1=2でない論」みたいなよくあるドツボに。「ロック音楽とは何か」みたいな言葉遊びに足を取られ、滑って転んで「ロック音楽存在しない論」というドツボにハマって得意がるみたいなパターンは多い。


http://www9.big.or.jp/~cumy/sayoku/san_06.shtml
左翼がサヨクにさよく時

上のサイトは根底の常識とはいっておらず”境界不明瞭なもの””抽象的な言語”といっていますが同じ事です。ドイタカコという一人の人間がこの世にいることや、わんわんと鳴いている動物が犬であることは、たしかに証明しにくく証拠は集めにくいですが、それは、それらが物事の根幹にちかい常識であるからであって、それが正しくないから、証拠も集めにくく証明もしにくいわけではないのだ・・ということです。


追伸


>いやですから、いくら「実感で分かるだろ!」と言われても私にはそうした人々が身近にいるという「実感」がないので了解できないんですってば。
>natamaru123さんの実感としては、そうした男性や女性の存在は「常識レベル」の話なのかも知れませんが、それが日本に住む大多数の人に受け入れられていないのでは、それは「常識レベル」の話などではなく、単にnatamaru123さんの個人的な実感に過ぎませんよ。


これは読んだときにクラっときましたね。彼の世界では、乞食オトコが成城のお嬢様たちに大人気で、イケメン3高並みにばんばん逆タマで結婚していたり、嫁入りに関して、ドブス顔が矢田亜希子顔並みに有利らしいです。ぜひともおうかがいしたいものですな。


そんな世界があれば、乞食の努力程度で平均年収の男性と同じレベルの女がゲットできたり、女性だってメイクだエステだダイエットだのとオンナを磨く必要が全くなくなります。天国じゃあないですか。


これから、師匠と呼ばせてください!クロウさん。今までの無礼をお許しください!その代わりに、氏の住所をこっそりと僕に教えてください!そこに住んで自己努力を乞食なみにとどめてドブスと同じ倍率の矢田亜希子顔の嫁をゲットします!なんておいしい人生でしょう!



なんというか、ここまで来ると○○○イとしかおもえませんな。相手にしていいものやら....