労働の二つの側面について につっこみ

少し前にコメント欄で、『低賃金の人は、人の役に立つ仕事(職業)をしていないのだ』という趣旨の書き込みをした人があった。ぼくは、これは暴論だと思ったが、どう反論すればいいかと考えると、むずかしいところがある。



いやーー。バカな文章ですね。ほんと・・・


>これは暴論だと思ったが、どう反論すればいいかと考えると、むずかしいところがある。


反論が難しいのなら、その論は正しいってことじゃないの?たとえ暴論だと思った(=感情的には反発したい)としてもね。悲しいけどそれが現実ってことよ。僕だってそりゃあ”こんなのは暴論だ!誤ってる”って思いたいわいな、だけど現実がそうなんだからそうとしか言いようがないだろうって。思想だの自分の希望なんて全然かんけいなくね。


>自分の仕事の「価値」まで、市場原理とやらに決められてたまるか、と思ってる人は、職人さんならずとも多くいるであろう



はい、いますね。腕の悪い職人さんやラーメン屋さんは”市場原理とやらに決められて”しまったら彼らは腕利き職人に比べて著しく低く評価されてしまって店に閑古鳥がなくので、”市場原理に決められてたまるか!俺はお役人みたいに同じ時間はたらいたら同じ金貰いたいぞ!”って思うでしょうね。(っていうかそんな人は職人やってないわな)逆に、腕一本でやっていける自信のある優秀なラーメン職人だったら、店が他店と比較して相対的に繁盛して得だから”市場原理にどんどん決めてもらいたい”と思ってるはずです。


ありさんの言う”市場原理とやら”は、ようは、客の消費チョイス行動にすべてゆだねるってことです。それと仕入れ値(原材料)がどれだけ低いかというのと売値(×売上数)の兼ね合い、つまり個人でいかに高い付加価値を稼ぎ出すかということです。詳しく知りたければそこらへんの本屋さんに行けばビジネスコーナーで腐るほど入門本がうってますのでそれを読んでください。


それと、医師や料理人の人情ドラマなんかでは、うらぶれた医院やラーメン屋が腕がよく客を第一にかんがえてる立派な人で、繁盛してる店はもうけ第一でサービスも悪く客のことを考えてない悪人って設定が多いですが、実際の世の中は逆のことが多いです。客思いで腕がよければ店がうらぶれてるわけがありません。繁盛して今ごろ高給腕時計して別荘もってベンツなんかに乗ってるでしょう。ドラマではまんま悪役のキャラですが、現実にはこういう暮らしをしてる人のほうが客を思っている職人です。


客がどんな値段でどんな味のラーメンが食べたいか?という要望にこたえたとした(=客のことを思った)ら、ラーメンは高い値段をつけても売れに売れるのでおのずと金持ちになってるはずです。高い値段だからいかにも庶民を苦しめてそうで悪いイメージを持つかもしれませんが、モノがよければいくら高値をつけてもいっこうにかまわないのです。(厭なら買わなければいいんだし、厭じゃないつまり満足してるから買ってるのでしょうから・・・)これが前述した”付加価値が高い”という現象で、これがあったところでだれをも苦しませません。


逆に、眠たいとか気分のらない日は仕事したくないなどと思ってる、自分本位な職人は、来る客が少ないか、あるいは高い原材料を使っても安値をつけないと客が買ってくれず、経営は苦しく店もみるからにうらぶれています。人情ドラマでは職人かたぎの善人が切り盛りしてそうな店ですが現実は逆です。


とにかく、苦しげに働いていたらその人はなんかいい人っぽう。要領よく楽そうにはたらいて金に困ってなさそうだったら悪いことしてもうけていそう・・なんてのはドラマや小説の中だけのはなしですのでこれを現実世界にもっていかないでください。



>もちろん、市場がまともに働いてなければ、この限りではない。医療・介護の現場など、「人手不足」が言われてるのに賃金の上がらない職場もある。それは、市場に問題があるのだろうと思う。



おい!。何度いわせるんだ?人命に直結している重要職種でありながら賃金がのびていないのは、”1 世間にそれが出来る人がはいて捨てるほどいて、業務のマスターに時間がかからず敷居が低い(供給過剰、参入障壁の無さ)2 重要といっても、消費者の命にかかわっているのは使用するマシンや原料の高性能なので、いわば最終組み立て工程であり付加価値が低い”ってさんざ言ったでしょ?まだわかんないの?


>しかし、需要がないということは、賃労働としては成立しないということである。だから、それでは生活が成り立たない。でもそれは、それだけのことであり・・


おいおい!生活を成り立たせるっていう、その”ただそれだけのこと”が浮世ではものすごく重要なんだよ!orz・・・・ま、あんたの生きてる紙の中の世界だったら屁みたいなものかもしれないが現実は違うんだよね。


現実ってのはいくらでもやり直しきくわけじゃあないんだよ。やるならコストもリスクもかかる。だから以外に保守的で結果論が許されず安易な行動は許されない。だがバーチャルはその逆。いくらでも革新の雰囲気を作れる。提唱や標榜するだけだったら何のコストも要らず一億人が数千年かかってやっとできたことや現世にいるの天才の功績をあっというまに超越しちゃうし、失敗したとしてもその紙を破ったりファイル消すだけだから損害は屁みたいなもんだ。でも実際にこの世には存在してない、幼稚園児がままごとでよく使う”うそんこ”の世界なんだよ。


>だが、「「仕事」が人の役に立たなくて、何が悪いか?」とも言えそうである。しかし、需要がないということは、賃労働としては成立しないということである。だから、それでは生活が成り立たない。>


>仕事」が人の役に立たなくて、何が悪いか?」とも言えそうである


いえねえよ!!仕事が人の役に立たなくてどうすんだよ!人の役にたってなけりゃそんなのは道楽であって”仕事”じゃないよ!!ってか、あんたはいつも二言目には”人間はエゴをやめろ”だの”人のために尽くすべき”だの言ってんのに”人の役に立たなくて何が悪いの”なんて言ってるのって矛盾してない。


人の役に立て!といいながら、人の役に立つためには、仕事でツライ役目を負わなきゃなんないとわかったら急に尻込しはじめるんですね。ぶっちゃけ面倒がいやなんでしょ?おいおいそれって立派なエゴじゃないかよ!!


あげくに”社会の人たちがどんな職種をもとめているか”といった”人助け”の要素を全く無視して、自分のスキルが足りないから無理だの生活できるだけの所得が足りないだのと、自分のエゴ丸出しになるんだからあきれてモノがいえません。


人助けしなきゃ世の中は良くならないのがわかって、なおかつ、人助けを成功さすためには自分のエゴを引っ込めなくてはならない(=面倒をかぶらなければならない、仕事をエリごのみしてはいけない)とわかったのなら、自分のエゴなんてかなぐり捨てて人助けすべき、そうしなきゃ世の中は前に進まない・・って考えるのがふつうですよね?それなのに、自分のエゴをキープしたままで人助けする方法を模索して、それがかなわぬとわかったら、”人助けできなくて(=仕事が役に立たなくて)何が悪いの?”って開きなおっちゃったらおかしいでしょ?言ってることとやってることが全然違ってますがな。




需要がないってことは人がたいして要望してない業務ってことだから、人の役にたってないってことだっての!それでもやりたい人が多いのは比較的責任おわなくて趣味的な仕事内容だから、人間工学上やりたい人が多いってことだっての。だから、趣味で生きていけて、なおかつ人からやくだってる人だわーって羨望の目でみられたいっていう、いいとこどり狙いの勝手な奴ってのは、役に立たない仕事でも無理やり役にたってんだって無理やりおもいたがってんだっての。


逆に人の役に立つってことはそれだけ需要があって、かつ頻繁に人がやめたがったり出来る人が少なかったり出来るようになるまでが大変だったりして、人材も貴重ってことだから、人の役に立ちたけりゃ世間で高給とされている苦しい仕事をとりあえず目指せばいいんだっての。こういうことを否定したがるってのは、人間誰しもしんどいのいやだから”いやいやあいつらはほんとは強欲で社会には益より害の方を多くもたらしてんだ、だからそうなってない俺は奴らより偉いんだ”って思いたたがりいたいからだっての。


例外もあるけど、それは自分が経済の仕組みを会得すりゃ、どんな業務が進歩に貢献するかしないかひとりでにわかるんだから、まよわず前者の職をチョイスすればいいってこと。



結局、高給取りは他人の就職機会や賃金獲得機会を奪ってんだから悪い奴であってそんなの目指すな!とはいえないんだっての。高給職目指してていまもなれていない奴だって、なろうとすらせずに底辺に甘んじてる奴よりよほど上だっての。そう思いたがるのは自分がそうできないことにたいしての自己弁護なんだって。


で、共産主義とかカルト宗教とかがそういう駄民の需要とすくいとって商売にするんだっての。で、政治も混乱して無気力もまんえんするんで為政者も教育者もみんなこれらの対策に苦慮してんだっての。自分を見てみりゃわかるでしょ?おわかり?


とにかく仕事の大切さを決めるのは世間や他人であって自分じゃないの!!、需要の多さと、いかにやりたがらないかという人材供給の少なさがその仕事の価値を決定するんであって、俺は得意だのやってて楽しいだの自分が食っていけないといった個人的な事情は関係ないんだよ。


あなたがたは、二言目には人を救済するだの貧しい人のことを考えろだのといってるくせに、いざ仕事のことを論じるととたんにその理屈をほっぽりだして、このみだの生活だのって自分の事情しか考えに及ばないんですね?ダブルスタンダードですよ、それって。


で、産業界を前進させようとして技術開発部につとめたり、企業設立して潜在失業者を雇用してるような”人を救済するだの貧しい人のことを考えてる”人を見ても誉めない。あげくには”キチガイホシュ””資本主義の犬”だの”自分のエゴのために他人を搾取してる”だのとけなす。逆に、”なるたけ技術や経験を積むリスクを負わずに希望の仕事がやりたい、社会がどんな業務内容を要求しているかなんて念頭にはなくあくまで自分の身体的条件に仕事をあわせる”などといった”人の救済や貧しい人たちのことを全く考えてない”人たちを、”保守派みたいに体制に媚びてない””体制から自由を勝ち取る戦いに積極的な人”などといって賞賛する。もっともっともっとダブスタですよ。



>そして、自分は「価値」のある仕事をしているという気持ちがあり、それを賞賛したり頼りにしてくれる人もあるのに、そういう「消費者」にあたる人たちにあまりお金がないなどの理由で、その「仕事」が高い収入(高賃金)に結びつかないことはよくあり、それは理不尽な感じがすることでもあるし、そういうことが理由でその職種に就く人が少ないと、またそこで人手不足が生じてみんなが困ることにもなる。


これは合ってるよ。考えうる例外の一つだね。だけど、”余りお金がない人たち”が”余りお金がない”理由が、前述した需給関係と、この”世は持ちつ持たれつ”という社会の約束事にもとづけば、”そのひとたちはそれほど人の望みをかなえてあげていない”ので、社会での約束にのっとって現金をそれほどゲットできず、たいした消費ができず自分の望みをかなられない。(かなえたければ貨幣価値で換算して貰いたい望みと等価の望みを、付加価値の生産をすることによって他人に与えよ)ということならば、そんな連中の願いはそれほどききいれる必要がない、もっと人の役にたててる他の人を消費のうえで優先すべきということは、残酷だけどもいえているわけ。だってこの世に蓄積できた消費財なんて量が限られてるんだから欲しい人全部に配るわけには行かないんだもの。そして、それを作り出す、なおかつ大量に作り出すことは人間にとって非常にツライ過程が必要なんだもの、だから、そのツライ過程をより多く負担してる人により優先的に果実をわけてあげるべきという考えはごく自然だもの・・・


どんな保守主義者でも自由主義者でも、この約束ごと(人に役立つ生産をしている人から優先的に消費する権利を与える)ってのをベストチョイスだとは思ってないし、もっといいもんがあればそっちのほうがいいしどんどん改良すべきだと思ってるんだけど、これを否定しちゃうと人は気楽なほうへ気楽なほうへと責任回避したがり、人の役にたつ仕事を率先して会得しようとしなくなっちゃって、生産は増やさないわ公共に余剰を供出しないわで社会がまわっていかないのが悩ましいところなんよ。人は自分勝手なもんなんよ、ちょうどあなたがいざ仕事のことになると人の役に立とうとかつらくても我慢しようとか全然考えなくなって、生活だの好みだのと自分のことばかりしか考えなくなっちゃうのと同じようにね。






>前者は、他の人ができないで困っていることを、代わりにやって助けてあげる、というようなことである。パン職人は、小麦を消費者が食べられるように加工してあげるのである。お医者さんは、(略)


文章自体は間違っていませんが、政治経済をかじって世を憂慮している人だとは考えられない、狂ったほどに幼稚な文章ですね。・・我々がパンをゲットできるのはパン屋の博愛心ゆえではなく、我々がおなかがすくから、すなわち我々が需要をもってるからだ・・というアダム=スミスの言葉をご存知ないのですか?



>どちらも、人(自分や他人)が生きていくうえで不可欠なことである。だから「労働」は大事だといえるが、それはあくまで他人や自分の生存を維持する手段(方法)として大事なのである。




まあ、文章自体は前のやつと同様に、あたりまえのことでいちいち言葉にすることでもないです。っていうか”生きていくうえで不可欠”なことというのは”他人(生物としての人間)の生存を維持する手段”にほかならないので文が自家撞着してます。


まあ、それはいいとして気になるところについてひとこと・・


さっきからあなたは、生活維持とかいった、ものすごく大切なことをさらりとしか触れてませんね?”あくまで”なんて口ぶりを、ちゃんと社会で働いて誰かを養っていたのなら、どうやったらできるというのでしょう。まるで人類に労働より他の生活維持手段がいくらでもあるかのような言い草です。もしそう思ってるなら、列挙してもらいましょうか?もしかして、カスミを食えだの経典の中にはこうかいてあるなんて言い出すかも・・


カスミをくっていけば生きていけるのにわざわざ働いて人間ってバカじゃね?働くのがすきな生物なのか?アベ内閣に強制されてるのか?何でおとなしくしたがってるばかりで抵抗しないんだ?・・なんて思ってる?社会主義やカルト宗教の経典の中には労働以外の生存方法がたくさんかいてあるよ!エノクなんて何百歳も生きられたけどカレが労働したって特に強調してないしさ。マルクスだってそうだよ・・なんてね。


アリさん氏以外の人類にはわざわざ説明するまでもないでしょうが、働くのは強制でもスキだからでもなく当該の生物がそうしなきゃ生きていけないから。むしろ定義が逆で、他人や自分が生きていくうえで必須の行動を仕事という。それ以外は道楽。人はカスミを食って生きてはいけないし、経典なんて事実じゃないのだから、そこに自分の主張と一致してあることが書いてあったとしても何の意味もない。





まとめ

自分にとって他人のことであれば、他人にとっては自分のことでもあります。ということは他人にとって自分がどうすれば望ましいかということを実現することは、自分にとって他人がどうしてくれたら喜ばしいかを考えることによって明らかになるはずです。両者は立場を違えた同質のものだからです。この約束事の連鎖が社会というわけです。サヨクはこの考え方がまるで欠落していて、自分と他人の関係は任意の他人と自分の関係とはまるで別のものだと勝手にきめつけ、セカイ系文学さながらのヒキコワールドに若者を逃避させがちです。