責められない自分 に突っ込み


>ぼくも、もし目の前にその人たちが居たら、とてもそのように問い、責めることはできない、と思う。

だが、そのように「責められない」自分は、責めないことによって一体誰をかばってるのか。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20071009/p1


だれもかばってないっての。かばうってのは対象が何かやましいことを隠してるときにつかうんだけど日本兵はそんなものは何ももってないんだもの。何ももってないから自分らが責めることができないんでしょ?



どうしてアリさんは”彼ら(日本兵)は責められるほどのことをしていないから、それを自分が直感的に感じ取り、自分は、彼を責めようという気持ちが自然と抑制されるのだ・・・”っていうふうに考えないのでしょうか?


責めるべきはずなのになぜか自分はせめられない、だったら、責める材料がどこにもないから誰も責められないのだな。じゃあ無罪放免だなっと。と考えるのが普通の考え方なのに、どうして、”責められないのだから無理やりにでも責める材料ざがしてきて責めてみよう”ってひねくれた方向へいっちゃうの?サヨってどうしてわざわざ物事をヘンに考えるの?


自分らが責めあぐねてるんだから、責める材料が有効でないのだ。証拠として無効なのだ。ってことは彼を有罪に出来ない・・ってことは彼は何も責められることをしていないつまり無罪だって、普通に論理すすめればこうなるはずだよね?


責める理由が何一つないのに、”彼は責められるはずだ”ということを前提にして話を進めるのは、最初に結論ありきの魔女裁判だってどうしておもわないの?


こういうのを見てると、サヨってなんてバカな人たちなんだろうって思うね。論理の構造がしっかりと出来てないんだよ。だから最初のステップですらつまずくんだよ。


>日本軍の行動によって被害を受けた側(たとえば、フィリピンやビルマの農民など)の視点があまりに欠落していると感じるときがある。


表に出てこないのなら、農民たちが日本兵に被害を受けたとはあんまり思っていないので、取材してもそんなコメントがいっこうに集まらないからだって考えないの?欠落ってのは最初からあるものが抜け落ちたって意味だけど、最初からないモノは欠落とはいわないんじゃないのですか?



日本兵を責めるべき理由だの、ビルマのお百姓さんたちの日本兵からの被害だの、そもそも最初からないシロモノをあるとでっちあげて”欠落した”だの”もっと責められるはずなのにそうなってない””がんばればもっと責められるはずだ”なんて、まるであったのに隠してるかのようないいぐさしてるから純情なバカがだまされて筋違いな憤りを抱いちゃって、仕事手につかなくなって活動ばっかしたり、これほどでかい悪を成敗するには犯罪もやむをえないなんて勘違いすんだよ。


サヨもカルトも、ほかに行く道がなくて、自分の檀家代稼ぐためにいやいややってるって面もあるってのはわかるけどさ、バカ連中に吹き込むなんて商売えらぶんじゃないよ。連中の心がおかしくなって仕事や生活がおろそかになっちゃうって現実を直視しろよ。やんなきゃいけないことをがんばってるのは偉いけど、最初からやらなくていいことを一生懸命やってるのはバカだっての。未熟な若者にそれをわからせるのがオトナの勤めだろ?それを商売にしちゃうってのはどうなんだよ?