パフォーマティヴな否定論 に突っ込み


>比較対象のうち一方は被害者側の生存者の証言であり、他方は加害者(と目される)側の証言である。それを「「思い違い」の可能性など」のひとことで同じ土俵に載せてしまうのは為にする懐疑主義としか言いようがない。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20071012


その”こっちは被害者であっちは加害者”という線引き決めたのってだれ?あんたでしょ?


言ってる本人が勝手に決め付けた定義づけを、まるで最初から地上に存在していたかのような、動かしようのない分類方法であるとし(Aは被害者、Bは加害者)、それを前提として論(被害者の言うことは正しく、加害者は誤り)を進め、最後に自分に都合のいい結論(Aは正しいこと言ってて、Bは間違ったことを言っている)に導くという手法は自家撞着といって詭弁の一種ではないのですか?


>あれだけこてんぱんに負けていながら・・・


まるで負けたから誤っているといっているかのようなニュアンスで発言しておられますが、厳密には、戦争の勝敗と正義の有無は別問題ではないでしょうか?


こてんぱんに負けたから間違った戦争だ。こてんぱんにしてやったからこっちは正しいのだ。・・ということはいえない、だからといってその逆(勝ったから、強いから間違いで、弱くて負けたら正義)がいえるわけではなく、”必ずしもいえない”、”あまり関係がない”ということです。


だから、この理屈を日本軍に適用せず、一方でイラクや国民党軍に使ったとしたら、それはダブスタとなります。


まあ、あなたがた左翼陣営が、イラクベトナムで散々使った論法ですからよくおわかりになるかと思いますがね。