またすごいバカコメントをするapemanがあらわれた・・

一知半解男 氏の以下のコメント↓


また、ドイツを例に挙げて的外れと仰いますが、日本の置かれた状況を単純にドイツと比べること自体、的外れでナンセンスだと思います。
そもそもドイツの周りには、中韓のように日本に対して中華意識丸出しの根拠のない蔑視と劣等感を持つような国はありません。しかも口では友好を唱えながら国内的には反日教育にいそしみ、今だに昔の「倭寇」とか「壬申倭乱」の事を持ち出す執念深い連中です。今現在日本が復讐されないのは、彼らより力が優っているからであって、もし、将来力関係が逆転したらチベットのような目にあわないとは限りません(しかもチベットは日本と違って”前科”はないのに)


に対して、apeman氏のコメントがコレ↓



>中国は既に核兵器を持ってますよ? なぜ日本を核攻撃しないか? 過去の侵略戦争を理由にいま日本を核攻撃することが国際社会から到底受け入れられないことを百も承知だからであり、そんなことをしたって一文の得にもならないことを承知しているからでもあります。むしろ日本を危険にさらすとすれば、それはあなた方のような人々である…これが国際的な常識でしょう。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20071208/p1#c1197988950






バカかおまえは!


ホントにおめでたい頭してんな。


氏は、”国際的常識”といっていますが違います。正確には”中国共産党あるいはapemanのような中国共産党のシンパが日本人をはじめとした世界の人たちに植え付けたい己に都合のいい考え方”です。


はっきり言います。apeman氏は広義にかんがえれば、レッキとした中国共産党の党員です。おそらく党籍は無いでしょう。ですが、そんなことは関係なく、考え方がまるっきり同じだから党員も同然です。シンパともいいます。




>そして、山本七平の例の一文を差別意識の発露と考えないような方々にとってはどうなのか知りませんが、今の世界はそうしたユダヤ人差別が誤りであった、ということをコンセンサスとする社会なのです。


これはそのとおりかもしれぬ。だが、朝鮮人差別とユダヤ人差別を一緒に考えなきゃならないと考える根拠を出してくれや。


いつも君たちは”中国人や朝鮮人の日本人差別やユダヤ人のパレスチナ人差別”をぜったいに”日本人の朝鮮人差別やアイヌ差別や部落民差別”といっしょくたにして考えず、いともたやすく別々に切り離して考えられるくせして、どうして”日本人の朝鮮人差別やアイヌ差別や部落民差別”と”ナチのユダヤ人差別”を個別に考えることができないのだろうか?


その”ナチがそうだったから、日本人もそうなのだ”と断定する根拠は何なのだ?教えろ。


そして、”ナチがそうだったから日本もそうだった”とかってに決め付けた口と同じ口で、”ナチがそうだったから中国共産党もそうだったのかも??”と(控えめに)発言した保守勢力のことを、レイシストだの差別だのと怒るのは何故だ?教えろ!ダブルスタンダードだと自覚してないのか?

パフォーマティヴな否定論 に突っ込み


>比較対象のうち一方は被害者側の生存者の証言であり、他方は加害者(と目される)側の証言である。それを「「思い違い」の可能性など」のひとことで同じ土俵に載せてしまうのは為にする懐疑主義としか言いようがない。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20071012


その”こっちは被害者であっちは加害者”という線引き決めたのってだれ?あんたでしょ?


言ってる本人が勝手に決め付けた定義づけを、まるで最初から地上に存在していたかのような、動かしようのない分類方法であるとし(Aは被害者、Bは加害者)、それを前提として論(被害者の言うことは正しく、加害者は誤り)を進め、最後に自分に都合のいい結論(Aは正しいこと言ってて、Bは間違ったことを言っている)に導くという手法は自家撞着といって詭弁の一種ではないのですか?


>あれだけこてんぱんに負けていながら・・・


まるで負けたから誤っているといっているかのようなニュアンスで発言しておられますが、厳密には、戦争の勝敗と正義の有無は別問題ではないでしょうか?


こてんぱんに負けたから間違った戦争だ。こてんぱんにしてやったからこっちは正しいのだ。・・ということはいえない、だからといってその逆(勝ったから、強いから間違いで、弱くて負けたら正義)がいえるわけではなく、”必ずしもいえない”、”あまり関係がない”ということです。


だから、この理屈を日本軍に適用せず、一方でイラクや国民党軍に使ったとしたら、それはダブスタとなります。


まあ、あなたがた左翼陣営が、イラクベトナムで散々使った論法ですからよくおわかりになるかと思いますがね。

サヨは、ふだんから”人間は保守主義者のいうようなエゴの塊なんかじゃない、もっと利他的であるのでそれに則った政策を強いても失敗しない”と常日頃から主張して、その制度に対する”絵に描いた餅、あまりにご都合主義”といった保守派の反対意見を批判しているのに、自分の政党を支持していない底辺労働者の”野党Aのばらまき政策をしてもらえれば自分は扶助対象となるので得するが、他の人の負担が増すのであえてA党の政策を支持しない”という利他的な心理を喜ぶどころか頭ごなしに否定する。

慈愛に満ちた心だ、なんてすばらしい・・などと誉めず、強権的な体制に騙されてるんだとレッテル付ける。あげくに、”体制に遠慮なんかしないでもっとジコちゅーになってもいいんだよ。”などと己の人間分析論と矛盾したことを言う。



実は、”困っているひとたち”にたいして、甘美だが実現不可能なエサをぶらさげて己の政党への支持をとりつけようと狙っているのだが、彼らもそこまでバカではないので裏の意図を見透かされ、自分の政策がスルーされることにたいして必死に言い訳しているわけだ。だが必死すぎて己の人間心理の定義と矛盾してしまってるのが滑稽である。

ネトウヨは底辺層なのだから、イシハラやアベ(元総理)の政策が実行されれば自分が損するはずなのに支持してるんだから頭が悪い。社会民主党などの主張する政策が実行されるほうがよほど自分は得するのになぜ応援しないのだ???。などというサヨクには”おまえはオウムが自民党政府より理想的なマニフェストかかげていたら麻原を首相にするのか?”と切り返すのが有効。

ひとこと集 2

中国が戦前の日本をやたらと非難しまくるのは、日本軍がそれほどひどい奴じゃなかったという真実を今の中国人が知ってしまったら”共産党より日本軍に治めてもらってたほうがもしかして俺たち幸せだったのでは?”という感情がわきおこり、党の求心力が無くなってしまうから、それを是が非でも防止したいためである。


今の共産党の鬼畜っぷりを見ればだれだってそう思ってしまう、下手すればイギリス人や満州八旗よりも好感度は低い・・・


自民党幹部や野球監督が人々から非難される割合が、ヒラ社員や野党と比べて多いのは、彼らが後者にくらべて好ましからざる人間だからではなく、物事を決定しているという、より批判されがちなポジションに就いているからである。


誰かが物事をきめれば誰かが不満を持つ。その決定によって拘束をうけるメンバーの誰がしかが抱く不満の総量は決定された内容にかかわりなく一定である。彼らが非難されないようになるためには、物事をきめるのを禁止するしか道はない。だがそんなことでは社会も試合もやっていくことは不可能である。




だが、重責あるポジションをまっとうできるすぐれた人材よりも、そのポジションにつくことすらできない劣った人間のほうが数量的には多いので、前者より後者の溜飲をさげることを稼業にした者のほうがより多く社会にはびこりやすい。


証拠に、この世は、想を標榜してるだけの”見てくれだけなら最優秀”なカルトな宗教や政府機構や企業の宣伝だらけである。インドの教育、スイスの国防、優れたものは宣伝なんかしない。してしまったらアドバンテージが無くなってしまうではないか。わざわざ自分が損する真似などするだろうか。喧伝に積極的なシロモノなんてろくなもんじゃない、優れているなら黙っていても口コミで伝わるので宣伝の必要は無いはずだ。




自分が率先して底辺におさまることにより、一人の人間が転落したポジションに陥ることを防いであげているような錯覚に陥るがそんなことはない。

ドキュン職は個人にその上の職がつとまるだけのスキルが足りないからなるんであって定数はなく、自分がなってもなる奴はなる。競争参画しないことにより競争の倍率が下がるので製品(人材レベル含む)の質が下がり(自分を含む)消費者がデメリットをこうむることで損得は相殺されている。

劣悪な雇用環境にいる労働者が存在していること自体が、悪徳資本家の跋扈を助長する行為なので他人に威張れない。

その労働者が容易にその上の職に就ける立場にあれば雇用側は低賃金や長時間労働、手抜きなどの無茶をいえず、従業員が一人もいなくなって事業がなりたたなくなるので悪徳資本家の存在は消滅する。虐げられているとしきりにわめいているが脱出の努力を怠っている底辺労働者の存在は、賃金低下圧力をかけ、悪徳事業を延命させたりして、実は悪徳資本家の事業を助けてるも同然なのだ。その事業が悪で自分がやりたくないのならほかで働いたほうが自分も消費者も助かるのだ。

ひとこと集

アフガニスタンごときにしか居住できてないという世帯主の状態こそが、女に対する最大のDV

もっとも女にやさしい男とは、甘い言葉をささやく男ではなく、有利に生きられる場所に住む権利を得た、あるいは必死に守っている者。たといその男が女にわき目も振らなくとも、女を楽にしようという願いで、あることにまいして進いるのだから、事実上、甘い言葉をささやいてばかりの男以上に、女性にたいしてわき目ふっていることになる。逆に女をラクにさせられるような武器をなにひとつもっていない男が、それをごまかすために甘い言葉をささやき、女をつなぎとめようとしている。こういう男は実はみてくれ以上に女にわき目をふっていない。賢い女は前者を、バカ女は後者を選び、後者はろくでもない子供が生まれる確率が高いのでシビアな異性にチョイスさせず独身率はたかくなり、前者は逆であるので時代がつれてバカの血統が絶え世の中は良いほうに向かっていく。

サヨに仕事させず失業状態にさせれば弱者救済になる。

二言目には弱者を助けろとわめくサヨ脳の若者が、普通の若者より失業しやすくめぐまれぬ境遇におかれやすいのは、いい人ほど生きにくい世の中だからでも社会が虐げているわけでもなく、サヨ理論なんぞを信じてるような劣った脳をした者を重要な役職で雇うと、会社を倒産させたり医療ミスしたりして、配下の新米従業員や担当患者の老人のような”弱者”を苦しめてしまうから。そのため、人事担当がそれを憂慮して彼を雇わない。



カルト宗教やサヨク組織が大学キャンバスで跋扈すると、人事考査がラクになるので大学側はあえて放置しているらしい。


論理破綻した理論を信じてる奴らなどに仕事させても損害をばらまくだけだから、その組織の名簿さえ手に入れれば手間をかけずに不適格な人材をはねることができるため。企業人事部にとってインチキカルトは就職試験の問題作成代行業者のようなもの。



若者が誤った道へ行くのを未然に防ぐべきでは?貴重な若者の時間を無駄に費やすことは社会の損失でもあるのでは?という声もあるが、”経営や技術などで社会に必要とされる要職の頭数なんてわずかなんだし、そんな人間は最初からカルトなんぞにひっかからない。ひっかかるのはバカなんだから、そんなやつは技術者や管理職がつとまるわけがないし、たとえカルトにひっかからなかったとしてもその後の人生でたいした価値のあることは生み出せまい。そんな人間が多少カルトにはまって時間を無駄にしたしたところで社会にたいして損失はない”。と切り替えされて議論がおわってしまう。

中国は、カンボジアを救うためではなく、弱くするためにポルポト文化大革命の模倣を薦めた。


自分が侵略しやすくなるため。文革タイプにこだわったのは、中国自身が痛い経験によって、文化大革命をすればいかに国がガタガタになることをよーく理解していたため。ポルポトは中国の欺瞞にきがつかず、真に受けて、これをやれば国が良くなると本気で思って百万者人々を皆殺しにした。あとで中国の真意を気づいた彼はとりかえしのつかないことをしてしまったと慟哭した。騙される政治家もバカだが、そんなバカをトップに担ぎ上げたやつらはもっとバカであろう。



ちなみに技術者や知識人を根絶やしにするなどしてカンボジアはすざまじい勢いで弱体化したが、中国がいただこうとする寸前にベトナムに先に食われてしまった。そのベトナムだって、中国自身が対米対策のためさんざ武器やって肥え太らせたから侵略するほど余裕ができたわけで、まさに飼い犬に手をかまれた状態ってのは皮肉。



イラクフセインビンラディンベトナム政府のアメリカ版。


中ソが対米対策のためエサやって太らせたのがベトナムならば、対ソ、対イスラム原理主義政策のために、成長促進剤も真っ青の栄養過剰なエサやって手がつけられないまでにふとらせてしまったのがフセインフセインをけん制する役としてふとらせたのがオサマ。アメリカも旧東側を笑えない。


サヨクは口では他人に人助けを強要するが、仕事で人助けをすることはない。

他者がその二枚舌を指摘すると”個人が自己実現できるような職を社会が用意できてない””そんな給料じゃ生活できない””自分にはそのスキルがないので不適格、自分は他の道で食っていきたい”などと、きわめて自己中心的ないいわけをする。


あげくには、こんな弱者が虐げられるような世の中じゃ、努力なんてする価値がない”などと、どうかんがえても自分が何もしていない理由をこじつけているとしか思えない詭弁を吐く。」


実は、最大の人助けは、政治活動でも脳内に理想を思い描くことでもなく、”己による、人が切に必要としている技術の研鑚”


より強力に人を助ける技術は近代以前には存在しないハイテクの塊であり、習得は難しく、習得すれば必ず人助けができるとは限らないが、これ以外に人助けを成功させる方法はない。バットを振れば空振りするかもしれないが、振らずにホームラン打てる方法が皆無である(=空振りのリスクを負わずしてホームランは打てない)のと同じこと。


だが、この世のほとんどの平凡人間にとって、この技術のマスターは御手上げである。


よって、ほとんどの人間は人助けに貢献できない。


だから、俺は人助けしてんだぞと人に自慢できない。


普通の人は、自慢をあきらめて
それができてる人を尊敬するか
自分の出来る範囲で彼らの手伝いをする。


だが、あきらめきれない者が中にはいる。


何一つ人の役に立ってなく、なおかつバカの自分でもやれる敷居の低い行動(経文の提唱、架空存在を文書にしたためる等)をやり、ほんとは人の役に立ってんだと強弁し、高度技術者と同じ土俵にあがろうとする。

そういう人たち専用の商売がある。インチキカルトや社会主義などがそれ


自分たちは、この世に害悪を与えるとされる存在を、(バカでもできる)ある方法によって撃退しているのだと主張しているが、その悪というのは、普通の人には見ようとしても全く見えない。実は、もともとそんなものは存在していないからなのだが、カルトの人間は皆判を押したように、”自分が日夜その行動をしていることによって、退治されてしまったので今は目に見えないのだ”と理由付ける。


ニューヨークの公園でわに退治と称して砂をまく老人の小話があるが、論理構造は同じ。


あげくに”おれたちが必死で行動してるから一般人は枕を高くして寝られるんだ感謝しろ”などとわけのわからないことをほざく。


普通の人がこれを聞いても、自分が何もしていないことを言い逃れしているのだとしか思えない。お前ごときに容易にできることでこの世のすべての問題が解決できるんだったら医者も警察もいらないだろうと・・・・



住み心地がいいと世界中に喧伝してる国ほど、住み心地が悪い。


例>日本って評判よくないなー
  ある機会に日本にいってみた
  なんだ天国じゃないか!
  どうしてマスコミは日本のことを悪くばっかり言うのだろう!
  日本政府もどうして日本のよさを積極的にアピールしないのだろう。
  もし、そうだったら俺なんか一族郎党50人ぐらいに
  日本が天国だ移民しようぜ!ってけしかけるのにな・・



  ああーーー!そうか!



  俺みたいに考える奴がでてきちゃって
  移民だらけになって日本が困るから
  あえてよさをかくしてたんだね!
 

  もしかして、意識的に悪いイメージを流布してるのかも



  ってことは、逆に、世界中に、いい国だとしきりに喧伝してるところはどうだろ・・・


  キョウワ国は地上の天国!中五区にはハエも蚊もいないっ!ソビエトは労働者の国!


  ノヴァにいけば英語できる!○○タートルは従業員を毎日募集してます!


  ・・・・

太平洋戦争は、日本が米英の脅迫にブちぎれて戦争を挑んだ。

国際世界は非難轟々だったのかと思いきや、そんなことは全くなく、白人世界とりわけアングロサクソン国家とそのコバンザメ国家が騒いでたくらいであった。率にしてはわずかである。


その白人国家にしても、ソビエトは資本圏が共食いで力をすりつぶすから大歓迎、ナチス孫子の兵法の常道である遠交近攻戦略にのっとって歓迎。で、当時の大多数であった有色人種の被植民国は、当時のアングロサクソンは領土拡大の手段としてインディアンやアボリジニをぶっ殺しまくっていたので拍手喝采だった。日本人の”俺たちはアボリジニみたいになりたくなんかない!”という心理は十分に理解できたからである。


戦後、この事実と違うことが広められたのは、米英が戦争に勝ったため自分に都合の悪いことを隠滅することが可能となったため。

田舎暮らしの自給自足的低賃金生活は他人への迷惑を減らしているように思えるがその逆である。

生活者は自分の面倒で精一杯で他人を面倒見る余裕がなく、よって公へ資本を供出できず、源資がなければ助けることができない弱者を路頭に迷わしてしまう。加えて不経済であっても田舎生活者に社会インフラを整備してやらねばならないこともあり、結果的には社会の負担を増やしてしまう。

弱者や公共部門のひとたちにとって、勤労者は田舎ではなく職場に近いところに住んでもらっておもいっきり高収入の仕事でがんばってもらうのがベストなのだが、能力のハードルや雇用枠には限界があるので競争も激しく、また密集による環境の悪化に耐えられない者が多いのでうまくゆかない。人間はある年齢になるときまって都会で一旗あげたいという心理を抱くが成功したものが少ないのがいい例だ。

責められない自分 に突っ込み


>ぼくも、もし目の前にその人たちが居たら、とてもそのように問い、責めることはできない、と思う。

だが、そのように「責められない」自分は、責めないことによって一体誰をかばってるのか。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20071009/p1


だれもかばってないっての。かばうってのは対象が何かやましいことを隠してるときにつかうんだけど日本兵はそんなものは何ももってないんだもの。何ももってないから自分らが責めることができないんでしょ?



どうしてアリさんは”彼ら(日本兵)は責められるほどのことをしていないから、それを自分が直感的に感じ取り、自分は、彼を責めようという気持ちが自然と抑制されるのだ・・・”っていうふうに考えないのでしょうか?


責めるべきはずなのになぜか自分はせめられない、だったら、責める材料がどこにもないから誰も責められないのだな。じゃあ無罪放免だなっと。と考えるのが普通の考え方なのに、どうして、”責められないのだから無理やりにでも責める材料ざがしてきて責めてみよう”ってひねくれた方向へいっちゃうの?サヨってどうしてわざわざ物事をヘンに考えるの?


自分らが責めあぐねてるんだから、責める材料が有効でないのだ。証拠として無効なのだ。ってことは彼を有罪に出来ない・・ってことは彼は何も責められることをしていないつまり無罪だって、普通に論理すすめればこうなるはずだよね?


責める理由が何一つないのに、”彼は責められるはずだ”ということを前提にして話を進めるのは、最初に結論ありきの魔女裁判だってどうしておもわないの?


こういうのを見てると、サヨってなんてバカな人たちなんだろうって思うね。論理の構造がしっかりと出来てないんだよ。だから最初のステップですらつまずくんだよ。


>日本軍の行動によって被害を受けた側(たとえば、フィリピンやビルマの農民など)の視点があまりに欠落していると感じるときがある。


表に出てこないのなら、農民たちが日本兵に被害を受けたとはあんまり思っていないので、取材してもそんなコメントがいっこうに集まらないからだって考えないの?欠落ってのは最初からあるものが抜け落ちたって意味だけど、最初からないモノは欠落とはいわないんじゃないのですか?



日本兵を責めるべき理由だの、ビルマのお百姓さんたちの日本兵からの被害だの、そもそも最初からないシロモノをあるとでっちあげて”欠落した”だの”もっと責められるはずなのにそうなってない””がんばればもっと責められるはずだ”なんて、まるであったのに隠してるかのようないいぐさしてるから純情なバカがだまされて筋違いな憤りを抱いちゃって、仕事手につかなくなって活動ばっかしたり、これほどでかい悪を成敗するには犯罪もやむをえないなんて勘違いすんだよ。


サヨもカルトも、ほかに行く道がなくて、自分の檀家代稼ぐためにいやいややってるって面もあるってのはわかるけどさ、バカ連中に吹き込むなんて商売えらぶんじゃないよ。連中の心がおかしくなって仕事や生活がおろそかになっちゃうって現実を直視しろよ。やんなきゃいけないことをがんばってるのは偉いけど、最初からやらなくていいことを一生懸命やってるのはバカだっての。未熟な若者にそれをわからせるのがオトナの勤めだろ?それを商売にしちゃうってのはどうなんだよ?